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フランソワ・ブーシェ
フランソワ・ブーシェ(François Boucher, 1703年9月29日 パリ - 1770年5月30日 パリ)は、フランスの画家、素描家、エッチング製作者。ロココを代表する画家であり、上流社会の肖像画や神話画などを描いた。多作家として知られ、生涯に1000点以上の絵画、少なくとも200点の版画、約10000点の素描を制作し、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作、舞台デザインの仕事をこなした。ブーシェのいとこの息子は新古典主義の代表的画家とジャック=ルイ・ダヴィッドである。18世紀フランスの美術愛好家ピエール゠ジャン・マリエットはブーシェの才能を高く評価し、「筆を手にして生まれた」、すなわち画家となるべく運命づけられた人間で、「我らがフランス画派にとっての大いなる名誉」であると絶賛している〔P. J. Mariette, ''Abecedario de P. J. Mariette et autres notes inédites de cet amateur sur les arts et sur les artistes'', t. I, Paris, 1851-1853, p. 165.マリエットはブーシェの若描きの作品、さらにとりわけ当時フランスの美術愛好家クロード゠アンリ・ワトレが所蔵していた《エウロペの略奪》を高く評価している(この作品は彫刻家ドルベイDorbayの邸宅を飾るために描かれた数多くの大型タブローのうちの一点として制作された。)。とりわけブーシェはこの作品の「確固としていてその上で優美な筆遣い」を称えている。〕。 == 修行時代 ==
=== 父ニコラ・ブーシェの手ほどき === ブルボン王宮の遊興費管理官ドゥニ=ピエール・パピヨン・ドゥ・ラ・フェルテ :fr:Denis Pierre Jean Papillon de La Ferté 1727-1794 の著作にみられる記述によれば、ブーシェの父は、刺繍のデザインを行っていた装飾家であり〔Denis Pierre Jean Papillon de La Ferté, ''Extrait des différens ouvrages publiés sur la vie des peintres'', t. II, Paris, 1776, p. 657. ; ''Encyclopedia of World Biography'' on François Boucher 〕、職能組合的組織である聖ルカ・アカデミー〔聖ルカ・アカデミー :fr:Académie de Saint-Luc は1723年に正式に設立を認可された相互扶助組合「パリの画家・彫刻家親方共同体」を原型とする職人組織。その起源はさらに14世紀末までさかのぼり、1391年に設立されフランス・ヴァロワ朝の第4代国王シャルル6世の認可を受けた後、1430年にシャルル7世、1583年にヴァロワ朝最後のフランス王アンリ3世、1622年にブルボン朝第2代国王ルイ13世の追認を受けている。cf. Article Larousse: "Académie de Saint-Luc" et "confrérie, puis académie de Saint-Luc" 〕所属の画家ニコラ・ブーシェ(1672-1743)であり、フランソワ・ブーシェはこの父から絵画術の最初の手ほどきを受けたと考えられている。この時期に制作されたと考えられる作品として、ブーシェの現存する最初期の作例《聖バルトロマイと聖アンデレ》(個人蔵)がある〔Alastair Laing. "Boucher, François." ''Grove Art Online. Oxford Art Online''. Oxford University Press. Web. 9 Nov. 2012. .〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランソワ・ブーシェ」の詳細全文を読む
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