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フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ(Francesco di Marco Datini 1335年頃 - 1410年8月16日)はイタリア、プラート生まれの商人。 ==人生== 1348年に共に黒死病で死亡したマルコ・ディ・ダティーノとモンナ・ヴェルミーニャの一人息子として生を受ける。 両親の死亡後、彼が「母の代理人」呼ぶ人物によって育てられる。手紙に「母へ、愛を込めて」と署名していることから良好な親子関係だったことが伺える〔The Middle Ages: an Illustrated History. Barbara A. Hanawalt. Oxford University Press, New York, 1998. ISBN 0-19-510359-9〕 。 フィレンツェで徒弟奉公に出た後、15歳で当時教皇の住まいとなっていたアヴィニョンへ向かう商人の一団に参加する〔The Middle Ages: an Illustrated History. Barbara A. Hanawalt. Oxford University Press, New York, 1998. ISBN 0-19-510359-9〕 。武器貿易から始め百年戦争の間ということもあり多大な利益を得る 。徐々にアヴィニョン在住の富裕な枢機卿向けの贅沢品や美術品も扱うようになる。こうして購入された美術作品は初めて宗教目的でなく個人的のために今日されたものの一つであるとされる。 ダティーニは40歳を超えてから一時的にプラートに戻り、25歳年下のマーガレッタと結婚した。彼が仕事で出かけているときに交換した手紙は今日に彼の人生に関する多くの情報を残している。この手紙類は、現在プラートのダティーニ古文書館に保管され、重要な当時の商業史料として活用されている。1400年6月17日頃、黒死病禍を避けて夫妻はボローニャの彼の庶出の娘のところへ移る〔The Middle Ages: an Illustrated History. Barbara A. Hanawalt. Oxford University Press, New York, 1998. ISBN 0-19-510359-9〕 。1410年彼はプラートへ戻り、そこで生涯を閉じる 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Francesco di Marco Datini 」があります。 スポンサード リンク
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