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フランツ・カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ : ウィキペディア日本語版
フランツ・カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ

フランツ・カール・ザルヴァトール・マリー・ヨーゼフ・イグナーツ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(, 1893年2月17日 - 1918年12月10日 )は、オーストリア帝室の分家ハプスブルク=トスカーナ家出身の、軍人。父方ではレオポルド2世の曾孫、母方ではオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の外孫にあたる。
フランツ・ザルヴァトール大公と、その妻で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の末娘マリー・ヴァレリー大公女の間の第2子、長男としてヴェルスのリヒテネッグ城で生まれた。1903年より、姉のエラと一緒にウィーンのに特別講義生として通学した〔Gymnasial-Chronik - In: ''Jahresbericht Schottengymnasium Wien'', Jahrgang 1904, S. 44 oben.〕。さらに陸軍士官学校に入学・卒業後、陸軍中尉に任官する。1915年より第1次世界大戦に従軍し、東部戦線でロシア軍、セルビア軍、ルーマニア軍と戦った。大戦が終結し二重帝国が崩壊した直後に病に倒れ、独身のまま25歳の若さで亡くなった。
== 参考文献 ==

* Marie Valérie von Österreich; Martha Schad (Hrsg.): ''Das Tagebuch der Lieblingstochter der Kaiserin Elisabeth. 1878–1899''. 2. Auflage. Piper, München 2000, ISBN 3-7844-2702-2
* Martha Schad: ''Kaiserin Elisabeth und ihre Töchter''. Piper, München 1997, ISBN 3-7844-2665-4
* Brigitte Hamann (Hrsg.): ''Die Habsburger. Ein biographisches Lexikon.'' Piper, München 1988, ISBN 3-4920-3163-3
* Robert-Tarek Fischer: ''Österreich im Nahen Osten. Die Grossmachtpolitik der Habsburgermonarchie im Arabischen Orient 1633–1918.'' Böhlau, Wien 2006, ISBN 3-20577-459-0

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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