翻訳と辞書
Words near each other
・ フリオ・アルベルト・モレノ
・ フリオ・アルベルト・モレーノ
・ フリオ・イグレシアス
・ フリオ・ウルキホ
・ フリオ・エルナン・ロッシ
・ フリオ・オラルティコエチェア
・ フリオ・カロ・バロハ
・ フリオ・カロ・バローハ
・ フリオ・クルス
・ フリオ・グロンドーナ
フリオ・コルタサル
・ フリオ・コロンボ
・ フリオ・ゴンサレス
・ フリオ・ゴンサレス (彫刻家)
・ フリオ・ゴンザレス
・ フリオ・サラテ
・ フリオ・サリナス
・ フリオ・サリーナス
・ フリオ・サンタナ
・ フリオ・ズレータ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリオ・コルタサル : ウィキペディア日本語版
フリオ・コルタサル

フリオ・コルタサルJulio Cortázar1914年8月26日 - 1984年2月12日)は、アルゼンチン作家小説家。主にカスティリャ語で書き、フリオ・デニス(Julio Denis)の筆名も用いた。
== 生涯 ==
ベルギーブリュッセルに生まれ、1918年に両親の母国アルゼンチンに帰国し、ブエノスアイレスで育った。1936年にブエノスアイレス大学に進学するが、中退して1944年まで高等学校の教員として教壇に立ち、1938年には詩集を出版。1944年にはクーヨ大学のフランス文学の教員を務め、1945年から1951年にかけて、出版社に勤めて翻訳の仕事をこなす一方で、小説を書き続け、1946年に書いた短編小説「占拠された屋敷」を雑誌『ブエノスアイレス年報』の編集者だったボルヘスに認められて掲載された。
1951年にフランスに留学してパリに居住した。以降、留学期間が終わっても帰国せずに、ユネスコの自由契約翻訳官の職を得て、生涯をフランスで送り、1981年にはフランスの市民権を取得した(動画)。
1960年の『懸賞』と1963年の『石蹴り遊び』の2作の長編小説により英語圏においてもラテンアメリカを代表する作家と見なされるようになり、イタリア映画監督ミケランジェロ・アントニオーニによって短編小説「悪魔の涎」が映画化され(映画タイトルは『欲望』)、スペイン語圏を越えて世界的に知られる作家となった。1973年に『マヌエルの教科書』でフランスのメディシス賞を受賞。
1960年代の二度のキューバ訪問以降、コルタサルは政治活動へと傾斜していく〔http://www.cervantes.es/bibliotecas_documentacion_espanol/creadores/cortazar_julio.htm〕。公然とカストロを支持し、ニカラグアにも足繁く訪れた。その様子を描いたテキストは、死後『かくも激しく甘きニカラグア』にまとめられた。
1984年に白血病により死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリオ・コルタサル」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.