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フリードリヒ・メクセペル(Friedrich Meckseper、1936年6月8日 - )は、ドイツの画家。エッチング(腐食銅版画)や油彩画のほか、コラージュ作品や、アッサンブラージュによる半立体、立体の作品も手がける。5度にわたって気球によるアルプス越えを成功させるなど、冒険家としても知られる。 ==年譜== *1936年 6月8日午前8時、ブレーメンに、建築家の父グスタフ(Gustav)と母リリー(Lily)の次男として生まれる。 *1940年 この年から1957年までシュトゥットガルトで過ごす。 *1952年 機関車のエンジニアになるため、ロバート・ボッシュ社の整備士見習いを始める。 *1955年 この年より'57年まで、シュトゥットガルトの州立アート・アカデミーで、教授のカール・ロシンク(Karl Rössing)に学ぶ。最初のエッチングほか、リノカットやリトグラフを制作。 *1956年 亜鉛板を使った自画自刷りのモノクロ、エッチング作品「バーボン・ストリート』("Bourbon Street")ほか、音楽や楽器をテーマに6点のエッチングを制作。 *1957年 この年より'59年まで、ベルリンのファイン・アート・カレッジで、教授のヴォルフ・ホフマン(Wolf Hoffmann)に学ぶ。最初の多色刷りエッチングを制作。 *1958年 亜鉛板にドライポイントとアクアチントによる最初のカラー作品 「静物」("Stilleben")を制作。2版2色のこの作品では同一イメージの色違いが数点制作された。 リノカットによる作品「ピアノ」("Klavier")を制作。 油彩画の制作を始める。 ヴォルプスヴェーデの Galerie Die Insel で作品を発表。 ハノーファーの芸術協会の秋の展覧会で作品を発表。 *1959年 コラージュやオブジェの作品制作を始める。 *1960年 1958年に制作されたモノクロのエッチング「石の家」(”Steinhaus" 1958 )が、バーデンバーデンの若き芸術家の友協会(Gesellschaft der Freunde junger Kunst Baden-Baden)の年次ギフトとして同協会より出版される。 オルデンブルクの城博物館(Oldenburg, Schlossmuseum)で個展を開催。 *1961年 ベルリンから、ブレーメンの東約15kmにある芸術家村ヴォルプスヴェーデにアトリエを移す。 *1963年 バーバラ・ミュラー(Barbara Müller)と結婚、娘ユリア(Julia)誕生。ローマ(イタリア)のドイツ芸術学院ヴィラ・マッシモ(Deutsche Akademie Rom Villa Massimo)よりローマ賞を受賞。 *1964年 娘ジョセフィーヌ(Josephine)誕生。 *1965年 ミュンヘンでブルダ賞(Hubert Burda Preis)を受賞。ドイツ工業連盟の文化委員会より奨学金。 *1966年 「賢者の石」("Stein der Weisen")「永久運動機」("Perpetuum mobile")「バベルの塔」(" Der babylon'sche Turm")「黄銅鋼」("Messingbergwerk")「幻想時計」("Orologium phantasticum")「迷路」("Labyrinth")「カメラオブスキュラ」("Camera obscura")と題する7点のカラーエッチングを収めたオリジナル銅版画集「世界の七不思議」("Sieben Weltwunder")をヴォルプスヴェーデの Galerie Die Insel より出版。 *1967年 息子コルネリウス(Cornelius)誕生。ヒルデスハイムの Verlag Schrift und Bild より出版された7人のアーティスト(WP Eberhard Eggers, Fabius von Gugel, Thomas Häfner, Bodo Köchel, Friedrich Meckseper, Pit Morell, Woldemar Winkler )による競作版画集「ファンタスティック・アート(B版)」("Phantastische Kunst" - Ausgabe B)に2版2色のエッチング「キロメーターポスト」("Kilometerstein") を提供。 *1968年 レディング(イギリス、バークシャー州)のレディング大学で芸術学部客員講師を務める。 ハイデルベルクの Edition Rothe より出版された5人のアーティスト(K. F. Dahmen, Friedrich Meckseper, Rudolf Schoofs, Bernard Schultze, Emil Schumacher )による競作版画集「Rothe へのオマージュ(No.2)」("Hommage à Rothe", Nr.2)に2版3色のエッチング「静物」("Stilleben")を提供。 *1969年 エッチングのカタログレゾネ 「フリードリヒ・メクセペル - エッチング 1956-1969」("Friedrich Meckseper, Radierungen 1956-1969" )をブラウンシュヴァイクの Galerie Schmücking より出版。('75年と'80年に補遺) ベルリンの Rembrandt Verlag より出版された11人のアーティスト( Peter Ackermann, Erich Brauer, Uwe Bremer, Ernst Fuchs, Rudolf Hausner, Friedrich Meckseper, Pit Morell, Heinrich Richter, Bernard Schultze, Ursula, Paul Wunderlich)による競作版画集「11の幻想版画)」("11 Blätter phantastischer Graphik")に3版4色のエッチング「アーティスト」("L' Artiste")を提供。 *1970年 第7回東京国際版画ビエンナーレ展にエッチング「四つの球体」("Vier Kugeln" 1968)を出品、国際文化振興会(現在の国際交流基金)会長賞を受賞。 *1971年 ベルリンの Rembrandt Verlag より出版された10人のアーティスト( Peter Ackermann, Erich Brauer, Uwe Bremer, Paul Eliasberg, Ernst Fuchs, Johannes Gachnang, Anton Lehmden, Friedrich Meckseper, Heinrich Richter, Mac Zimmermann)による競作版画集「幻想版画)」("Phantastische Graphik")に2版3色のエッチング「テーブル」("Tisch")を提供。 フランツ・カフカの短編小説「家父の気がかり」を題材に、ハノーファーのSteintorverlag, Burgdorf より出版された13人のアーティスト(Peter Ackermann, Peter Collien, Michael Coudenhove-Kalergi, WP Eberhard Eggers, Ernst Fuchs, Thomas Häfner, Alfred Hrdlicka, Friedrich Meckseper, Arnulf Rainer, Kurt Regschek, Markus Vallazza, Woldemar Winkler, Anatol Wyss)による競作版画集「オドラデク」("Odradek")に2版2色のエッチング「石」("Stein")を提供。 4版4色の銅版画「エッチング用具のある静物」( "Stilleben mit Radierzubehör")を技法や色ごとに刷り分けた11点と、完成作品1点、タイトルページの作品1点を収めたオリジナル銅版画集「1枚のエッチング」("Eine Radierung")をブラウンシュヴァイクの Galerie Schmücking より出版。 *1972年 4月17日から28日まで、東京、銀座の東京画廊で「フリートリッヒ・メクセペル展」開催。 蒸気機関で走行するボート "James Watt" の建造を計画、'74年に完成。 ベルリンの Propyläen Verlag およびローマの Pantheon Presse により出版された13人のアーティスト(Peter Ackermann, Hans Bellmer, Erich Brauer, Uwe Bremer, Jorge Castillo, Salvador Dali, Johnny Friedlaender, Ernst Fuchs, Alfred Hrdlicka, Fritz Janschka, André Masson, Friedrich Meckseper, Bernd Schultze)による競作版画集「シュルレアリスム以降」("Nach dem Surrealismus")に3版4色のエッチング「モルタル」("Mörser")を提供。 *1973年 「自画像」("Selbstporträt")「アルファベット」("Alphabet")「深淵の狭間」("Zwischentief")「テーブル」("Tisch")「田園詩」("Idylle")「静物」("Stilleben")と題する6点のエッチング(カラー2点、モノクロ4点)と油彩画の複製10点が、テキストとともに小さな缶に収められたオリジナル銅版画小品集「ポケット展覧会」("Taschenausstellung")をブラウンシュヴァイクの Galerie Schmücking より出版。 ミュンヘンの Verlag der Galerie Hartmann より出版されたグスタフ・ルネ・ホッケの著書「マニエリスム芸術」に、他の7人のアーティスト(Uwe Bremer, Bruno Bruni, Jorge Castillo, Friederich Gross, Fabius von Gugel, Alfred Hrdlicka, Karl Korab)とともに2版3色のエッチング「木立」("Wäldchen")を提供。 *1974年 1913年に製造された狭軌道の蒸気機関車 ”Henschel” を購入。 「寄せ集め」("Sammelsurium")「電球」("Birne")「時計」("Uhr")「ヴォルプスヴェーデの静物」("Worpsweder Stilleben")「アメリカのテーブル」("Amerikanischer Tisch")「気象学的な静物」("Meteorologischen Stilleben")「二つのボトル」("Zwei Flaschen")と題する7点のエッチング(カラー作品6点、モノクロ作品1点)にタイトルページの作品1点を収めたオリジナル銅版画集「静物」("Nature Morte")をベルリンの Propyläen Verlag、パリの Galerie Berggruen、ローマの Patheon Presse より共同出版。 *1975年 ヴォルプスヴェーデに一軒家を購入、'76年にかけて自らリフォームを手がける。 ニューヨークの Fitch-Febvrel Gallery より出版された5人のアーティスト(Maurilio Minuzzi, Friedrich Meckseper, 浜口陽三, Yves Doaré, Eric Desmazières)による競作版画集「銅の記憶」("Reconnaissance du Cuivre")に3版4色のエッチング「螺旋状のバネのある静物」("Stilleben mit Feder")を提供。 *1977年 この年と翌’78年、ヴッパータール大学に招かれ講義。またこの年より'79年まで、ザルツブルクのインターナショナル・サマー・アカデミーでエッチングのクラスを指導。 *1978年 この年を皮切りに、'79年、'80年、'82年、'86年の五度にわたり気球に乗ってアルプスを越える。 モノグラフ「メクセペル - 油彩画とエッチング」("Meckseper, Ölbilder und Radierungen")をミュンヘンの Piper Verlag と 同 Galerie Hartmann より出版。 コラージュとモンタージュによる作品を集めた作品集「ホモ ルーデンス」("Homo Ludens - vollständiges Verzeichnis der Collagen und Montagen 1959-1978")を クレーフェルトの Galerie Peerlings より出版。ザルツブルクのインターナショナル・サマー・アカデミーでエッチングのクラスを担任。 *1979年 前年に続き、ザルツブルクのインターナショナル・サマー・アカデミーでエッチングのクラスを担任。 *1980年 「土」("Erde")「水」("Wasser")「火」("Feuer")「気」("Luft")と題する4点のカラーエッチングを収めたオリジナル銅版画集「四つのエレメント」("Vier Elemente")を ジュネーヴ(スイス)の Partrick Cramer より出版。 東京都美術館の「世界の現代版画25年展 1955-1980」にエッチング「四つの球体」("Vier Kugeln" 1968)を出品。 *1981年 使用済みの6枚の版から制作した6点のエッチングを収めたオリジナル銅版画集「後戻り」("Die Rückseite")を自費出版、テキスト「後戻り、または芸術の行き着く処」("Die Rückseite oder wo die Kunst am Ende ist")を執筆。 *1982年 フレドリクスタ(ノルウェー)で開催されたノルウェー国際版画ビエンナーレ展で6等を受賞。 モノグラフ「フリードリヒ・メクセペル」("Friedrich Meckseper")をブラウンシュヴァイクの Georg Westerman より出版。 *1983年 「物理学」("Physik")「化学」("Chemie")「医学」("Medizin")「文学」("Literatur")「平和」("Frieden")「経済学」("Ökonomie")と題する5点のカラー作品を収めたオリジナル銅版画集「ノーベル賞」("The Nobel Prizes")をマルメ(スウェーデン)の Galerie Börjeson より出版。 ドイツ文学、メディアの研究家 Jochen Hörisch の著書「消費の理論および理論の消費」("Die Theorie der Verausgabung und die Verausgabung der Theorie")のために2版2色のエッチング「迷路」("Labyrinth")を制作。 *1984年 コラージュとモンタージュによる作品を集めた作品集「ホモ ルーデンス 第2集」("Homo Ludens, Band II - vollständiges Verzeichnis der Collagen und Montagen 1979-1984")を クレーフェルトの Galerie Peerlings より出版。 ヴォルプスヴェーデからベルリンに移り住む。 *1986年 ブレーメンのVerlag Bettina Wassmann より出版されたジュール・ミシュレの「オイディプス」("Ödipus")のために亜鉛板2版モノクロのエッチング『オイディプス』("Ödipus")を制作。 *1987年 ザルツブルクのインターナショナル・サマー・アカデミーでエッチングのクラスを担任。この年より'90年まで、D.E.ザットラー編集のブレーメン聖書(全22巻)豪華版のためのエッチング「ヘブライ語のアルファベット」("Hebräisches Alphabeth" 1987-1990)全22点を制作、ブレーメンの Neue Bremer Presse より出版。 ニーダーザクセン州、ボンツェラーハンマーの Carl und Eva Grosshaus により出版された「壁」("Die Wand")の特装版に、他の4人のアーティスト(Uwe Bremer, Klaus Fussmann, Wolfgang Troschke, Reinhard Zado )とともに2版2色のエッチング「日時計」("Sonnenuhr")を提供。 *1988年 この年と翌'89年、バイエルン州、イルゼーで催されたシュヴァーベン夏の芸術祭でエッチングのクラスを指導。 *1989年 コラージュとオブジェの作品を集めた作品集「ホモ ルーデンス 第3集」("Homo Ludens, Band III - Collagen und Objekte 1987-1989")を クレーフェルトの Galerie Peerlings より出版。 *1990年 第1回高知国際版画トリエンナーレ展にエッチング「講堂」("Auditorium" 1987)を出品、準大賞を受賞。 ニーダーザクセン州、ゲッティンゲンの州立大学図書館エントランスのための作品の制作依頼を受け、7点のガラスパネルからなる「ゲッティンゲンのアルファベット」("Göttinger Alphabet" 1990-1993 )の構想に着手。 エッチングのカタログレゾネ「フリードリヒ・メクセペル - エッチング 1956-1990』 ("Fridrich Meckseper - Radierungen 1956-1990") をジュネーヴの Patrick Cramer より出版。 *1992年 京都精華大学に招かれ芸術学部の版画コースで講義。 *1993年 ゲッティンゲンのニーダーザクセン州立大学図書館エントランスのための作品「ゲッティンゲンのアルファベット」が完成、縦1.8m x 横1.5m、厚さ12mmの板ガラス2枚を組合わせたパネル7点に、それぞれ「O,Z」「N,H,L」「U,T,A」「S,C,I,」「D,X」「G,R,P」「K,E」のアルファベットが重畳的に刻まれた大作が展示される。 トゥールーズ(フランス)での国際グラフィック・アート展を後援、同市よりゴールドメダルを授与される。 第2回高知国際版画トリエンナーレ展にエッチング「19冊の本」("Neunzehn Bücher" 1991)を出品、佳作賞を受賞。 *1994年 エッチングのカタログレゾネ'90年版の補遺として「フリードリヒ・メクセペル - エッチング 1991-1994」("Fridrich Meckseper - Radierungen 1991-1994")をジュネーヴの Patrick Cramer より出版。 *1995年 2000年春にハンブルクの Galerie Brockstedt で開催する展覧会ための作品制作を開始。 *2000年 この年より2011年にかけて、新作展をドイツ、アメリカ、日本などで開催。 *2006年 70歳の誕生日を迎える。 *2011年 1984年から現在までベルリン在住。1990年から2011年までの作品を収録したエッチングのカタログレゾネを Patrick Cramer より刊行予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリードリヒ・メクセペル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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