翻訳と辞書
Words near each other
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム2世
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王)
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・ケトラー
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・ツー・メクレンブルク
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニコラウス・アルブレヒト
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・ハインリヒ・アウグスト
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・ピクシス
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ドッソウ
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ハウクヴィッツ
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルク
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル
・ フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニコラウス・アルブレヒト : ウィキペディア日本語版
アルブレヒト・フォン・プロイセン (1837-1906)

アルブレヒト・フォン・プロイセン(Albrecht von Preußen, 1837年5月8日 - 1906年9月13日)は、プロイセン王国の王族・軍人。全名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニコラウス・アルブレヒトFriedrich Wilhelm Nikolaus ''Albrecht'')。プロイセン王子アルブレヒトの長男で、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世ヴィルヘルム1世の甥にあたる。軍人として陸軍元帥に任じられたほか、ブラウンシュヴァイク公国摂政(在職:1885年 - 1906年)を務めた。
アルブレヒトは1837年5月8日、アルブレヒトとその妃であったオランダ王ヴィレム1世の王女マリアンネ(1810年 - 1883年)の間に第2子としてベルリンで生まれた。1847年にプロイセン陸軍に入隊し、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争では従兄のフリードリヒ・カール・フォン・プロイセンの指揮の下従軍した。1866年普墺戦争ではSkalitzの戦い・Schweinschädelの戦い・ケーニヒグレーツの戦いに参加した。さらに1870年普仏戦争でも近衛騎兵旅団を率いて戦った。
1885年オットー・フォン・ビスマルクによってアルブレヒトはヴィルヘルムの死去によって断絶したブラウンシュヴァイク公国の摂政に指名された。これはブラウンシュヴァイク公国を統治していたヴェルフェン家リューネブルク=ヴォルフェンビュッテル系の遠戚にあたるハノーファー家エルンスト・アウグスト(2世)が公位を継承するのを防ぐためだった(エルンスト・アウグスト2世の父であるハノーファー王ゲオルク5世は普墺戦争でオーストリア帝国側につき、敗れたハノーファーはプロイセンに併合されていた)。
== 子女 ==
アルブレヒトは1873年4月19日ザクセン=アルテンブルクエルンスト1世の娘マリー(1854年 - 1898年)と結婚し、以下の三男をもうけた。
* ヴィルヘルム・エルンスト・アレクサンダー・フリードリヒ・ハインリヒ・アルブレヒト(1874年 – 1940年)
* ヴィルヘルム・フリードリヒ・カール・エルンスト・ヨアヒム・アルブレヒト(1876年 – 1939年)
* フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・カール・エルンスト・アレクサンダー・ハインリヒ(1880年 – 1925年)

category:ベルリン出身の人物

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルブレヒト・フォン・プロイセン (1837-1906)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.