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フリーメイソン()は、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社。 現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人に上り、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに〔"Frequently Asked Questions" . United Grand Lodge of England. Retrieved 2009-09-28.〕、200万人は米国のグランドロッジに所属している〔Hodapp, Christopher. Freemasons for Dummies. Indianapolis: Wiley, 2005. p. 52.〕。 「フリーメイソン」とは厳密には各個人会員の事を指しており、団体名としては(フリーメイソンリー)、(フランマソヌリ)、(マッソネリア)、(フライマウレライ)、(マソンストヴォ)である。以下、英語的な発音である「フリーメイソンリー」と記載するが、「フラン・マソン」や「マッソン結社」なども使われている〔マソン結社の組織と秘密 J.トウールマンタン著 国際政経学会調査部訳 1939年〕〔ソヴェト・ロシア辞典 P.131 ロシヤ問題研究所 1928年〕。なお本項目は「フリーメイソン」と表記しているが、日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している〔日本グランド・ロッジ 〕。 この友愛結社(組合)は、管轄上、独立したもしくは一部が東方社(オリエント、大東社系)の形で組織され、それぞれが下部組織(下位のロッジ)から成る自身の管区を管轄している。これらの多様なグランドロッジは、それぞれが認め合い、あるいは拒否したりして、境界を形成する〔グランドロッジは、通常では他のグランドロッジと、相互に認知した境を設け、それらを侵犯したり秘密にしたりすることはしない。〕。また、フリーメイソンリーの主要な支部には、関連した付属団体が存在するが、それらはそれぞれが独立した組織である。フリーメイソンリーは秘密結社〔または「semi-secret」(半分秘密の)団体と表現する場合があるが、いかなる団体であれ団体内部の秘密というものがあり、そうした視点においてフリーメイソンリーは広く知られた公開結社なのであるというフリーメイソンリー側の意見もある。「お前、秘密を漏らしたら首を切るぞ」と脅かして口伝で秘技を伝えた実務的メイソンの時代は400年間続いた。 西洋史に深いかかわりをもつ。帝国郵便を担うトゥルン・ウント・タクシス家出身の皇帝特別主席代理は全員がフリーメーソンであった。 また、フリーメイソンは、石工組合以外に、キリスト教で言う反キリストの『悪魔の子』=『天上のルシファー、その王の称号がヒラム(フラム)の子=ツロの王の子=自らをルシファーの子と名乗る人々』と示すとの意味と捉えている人達もいる。〔日本では、千葉グレイスチャーチ(キリスト教会)の牧師の小石泉である。〕 フリーメイソンリーは「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念がある。 == 沿革 == === 総説 === 起源とフリーメイソンリーについては対外的な資料が少ないため、諸説存在する。レギウス・マニュスクリプトとして知られるある詩人は、およそ1390年頃と疑われる、としており、これは諸説あるメイソン起源説の中では、もっとも早くに上るものである。〔"The Regius Manuscript" . Masonicsites.org.〕 16世紀には、スコットランドにメイソンのロッジ(Masonic Lodge)が存在していた、とする証拠もある。〔Stevenson, David (November 1988). The Origins of Freemasonry: Scotland's Century 1590-1710. Cambridge: Cambridge University Press. 〕 例えば、スコットランドのキルウィーニングのロッジには、16世紀後半の記録があり、それは1599年にあった第二シュワー法に言及している。〔Second Schaw Statutes, 1599.〕 イングランドにおいては、17世紀中盤にはロッジが存在していたことを示す明白な書証がある。〔Coil, Henry Wilson (1961). William M. Brown, William L. Cummings, Harold Van Buren Voorhes. ed. Coil's Masonic Encyclopedia (Revised and Updated by Allen E. Roberts, 1995 ed.). Richmond, Va: Macoy Pub. & Masonic Supply Co. ISBN 978-0-88053-054-5.〕 最初のグランドロッジである英国グランドロッジ(GLE、グランドロッジ・オブ・イングランド)は1717年6月24日に設立され、この日に、4つの既存のロンドンのロッジが合同で晩餐をしている。 こうして統括機関は素早く拡張され、殆どの英国のロッジが結合した。 しかし、少数のロッジは、GLEが企図した例えば第三位階の創設のような幾つかの近代化に憤然として、1751年7月17日にこれに対抗したグランドロッジを形成し、彼らはそれを古代英国グランドロッジと称した。 この「近代」(GLE)と「古代」の二つのグランドロッジは、1813年9月25日に英連邦グランドロッジ(UGLE)に統合されるまで、互いに覇を競った。 アイルランド・グランドロッジとスコットランド・グランドロッジは、それぞれ1725年と1736年に形成された。 フリーメイソンリーは、1730年代までには古代、近代共に北米の英植民地に進出し〔アイルランドやスコットランドのグランドロッジも同様であった。〕、多様な州グランドロッジを組織した。 独立戦争後、米国のグランドロッジは独立し、それぞれの州に根を下ろした。 何人かは、ジョージ・ワシントンを初代として、これらを股にかけた合衆国グランドロッジの組織を構想したが、多くのグランドロッジが統合によって、自分達の権威が低下するのを望まなかったため、このアイディアは短命に終わった。〔Bullock, Steven C.; Institute of Early American History and Culture (Williamsburg, Va.) (1996). Revolutionary brotherhood: Freemasonry and the transformation of the American social order, 1730-1840. Chapel Hill: University of North Carolina Press. ISBN 978-0-8078-4750-3.〕 古代であれ近代であれ、ロッジを運営するにあたって行なっているメイソンリーとしての活動内容に差はなかったのだが、こうした部門はF.& A.M.(Free and Accepted Masons)だったり、A.F.& A.M.(Antient Free and Accepted Masons)だったりと、そのネーミングに名残を見出し得た。 ヨーロッパの最も古い管区であるフランス大東社(GOdF)は、1733年に設立された。 しかしながら、大東社は至高の存在(メイソンでは、複数の宗教の会員がいることから各員が神と信じるものを最大公約数をとってこう表現する)への尊崇義務を会員規定から撤廃し、英語圏メイソンとの確執を引き起こし、両社は1877年頃、公式の関係を断絶した〔"GLNF: Grande Loge Nationale Francaise" (in French). Grande Loge Nationale Francaise (GLNF). Retrieved 2006-02-06.〕。 こうした中で、グランドロッジ・ナショナーレ・フランセーズ(GLNF)が、一般に英連邦メイソンとの友好関係を保ち、世界と調和した唯一のグランドロッジとなった。 こうした経緯故に、しばしばフリーメイソンリーは相互に親善関係にない二つの系統から構成されるといわれている。 *英連邦メイソンとそれに連なる管区(グランドロッジと呼ばれる)の伝統、そして *欧州大陸系の大東社とそれに連なる管区の伝統(グランドオリエントと呼ばれる)である。 ラテン系の地域においては、一説によると大東社系スタイルの大陸型メイソンが優勢を占めていたとされるが、英連邦メイソンと友好関係にあるグランドロッジも存在し、それは英メイソンと友愛関係を仲良く分かち合っている。 世界の他の地域においては、マイナーなバリエーションも存在するが、フリーメイソンリーの大部分は、英連邦メイソンのスタイルに近似の傾向にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリーメイソン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Freemasonry 」があります。 スポンサード リンク
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