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フレゼリック8世 : ウィキペディア日本語版
フレゼリク8世 (デンマーク王)[ふれぜりく8せい]

フレゼリク8世(、1843年6月3日 - 1912年5月14日)は、デンマーク国王(在位:1906年1月29日 - 1912年5月14日)。
== 生涯 ==
グリュックスブルク公子であったクリスティアンと、ヘッセン=カッセル方伯家出身でフレゼリク7世の孫に当たるルイーゼ(後の王妃)の長男としてコペンハーゲンに生まれる。フレゼリクが生まれた当時、王位継承者として注目もされていなかった両親は、コペンハーゲン市中の館でフレゼリクを初めとする子女たちを生み育てた。
王太子として1864年シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に従軍し、その後父王の統治をよく助けた。1906年、父王の崩御に伴い王位を継承した。即位時既に64歳と高齢であり、病気で衰弱もしていたために、わずかな期間しか能力を発揮することしかできなかった。フランスへの旅行からの帰途、フレゼリク8世はドイツハンブルクに立ち寄り、到着の夕刻にお忍びでユングフェルンスティークを散歩した。散歩の途中で気を失い、公園のベンチに倒れているところを警官によって発見され、ハーフェン病院に搬送されたが死亡が宣告された。死因は心臓麻痺と公表されている。他の王族と同様にコペンハーゲン近郊のロスキレ大聖堂に埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレゼリク8世 (デンマーク王)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Frederick VIII of Denmark 」があります。



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