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フレッシュボイスは日本の競走馬。おもな勝ち鞍は安田記念 (GI) 。直線一気の豪快な追い込みで人気を博した。 ※馬齢は旧表記で統一する。 == 戦績 == デビューは1985年10月、マイナー血統のため11頭立ての7番人気と注目はされなかったが、道悪を物ともせず優勝を飾った。この「道悪」というフレーズがフレッシュボイスの競走生活にとって大きなファクターとなる。続く400万条件でも勝ち、福島3歳ステークス(オープン特別)では3着に入った。 明け4歳となった1986年1月のシンザン記念で重賞初制覇。続く3月の毎日杯では季節外れの雪が降る中、ポツンと離れたしんがりを進みながらも、後に京都新聞杯を勝つタケノコマヨシに3馬身半差をつける圧勝だった。この時関西テレビ放送の杉本清アナウンサーによる「雪は止んだ、フレッシュボイス1着!」は彼の名実況の一つとして有名になった。実際、レース中(向正面→第3コーナーを通る頃)に雪は急に小降りとなっていた(ポニーキャニオン 中央競馬重賞競走ビデオ 昭和61年前期版映像より)。 こうして臨んだ皐月賞では裏街道を歩んできた印象のため、4番人気と実績のわりに人気は薄かったが、レースでは完全に抜け出したダイナコスモスを、最後方からの追い込みでクビ差まで迫り、2着となった。その後外傷を負い東京優駿(日本ダービー)は回避。秋は神戸新聞杯で復帰し4着。続く菊花賞、有馬記念ではそれぞれ6着、5着とそこそこの結果に終わった。 1987年、血統的には短距離向きだが、長距離戦線でまずまずの成績を残したことで春の目標を天皇賞(春)に定め、緒戦の日経新春杯を1番人気で快勝した。ちなみにこれが生涯唯一の1番人気での勝利であった。 次走阪神大賞典は勝ったスダホークから離されての4着に終わる。この結果を受けて陣営は相手が強化され、さらに距離が200m伸びる天皇賞では勝負にならないと判断し、目標を安田記念に切り替える。安田記念では、主戦騎手の田原成貴が天皇賞でニシノライデンに騎乗した際に進路妨害で騎乗停止となったので、鞍上は柴田政人に乗り替わった。前哨戦の京王杯スプリングカップでダイナアクトレスらを一蹴したニッポーテイオーが単枠に指定されて1番人気。中山記念を勝ったスズパレードが同じく単枠指定になって2番人気。フレッシュボイスは離れた3番人気だったが、重馬場の中、逃げ切りを狙うニッポーテイオーを大外一気の末脚でかわし、GI初制覇を飾った。 この後は短距離〜中距離のレースを中心に使われ、1988年4月の大阪杯に勝ち、1989年6月の宝塚記念では勝ったイナリワンをクビ差にまで追い詰めるなどしたが、安定した成績を残すことは出来なかった。1989年12月の有馬記念7着を最後に現役を引退、種牡馬入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレッシュボイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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