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フレデリック・スタンリー・マグリフ(Frederick Stanley McGriff, 1963年10月31日 - )は、MLBの元選手。ポジションは一塁手。アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身。ニックネームは「Crime Dog〔」。 従兄弟のチャールズ・ジョンソン、テリー・マグリフも元MLB選手。 == 経歴 == のMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから9巡目に指名を受け入団。12月9日に2選手との交換トレードで、他2選手と共にトロント・ブルージェイズに移籍。 5月17日のクリーヴランド・インディアンズ戦でメジャーデビュー。は主に指名打者として出場し、ジェシー・バーフィールドの持つ球団新人記録を更新する20本塁打を放った。 以降は一塁手として出場し、はリーグ2位の34本塁打を記録した。翌には36本塁打を放ってア・リーグ本塁打王のタイトルを獲得し、チームの地区優勝に貢献。12月5日にトニー・フェルナンデスと共にロベルト・アロマー、ジョー・カーターとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍した。7月18日にはトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。このシーズントータルでキャリア・ハイとなる37本塁打を記録した。 はオールスターゲームでMVPを受賞し、レギュラーシーズンでは史上9人目となる7年連続30本塁打を達成。は8年ぶりに30本塁打の大台を下回ったが、初のワールドチャンピオンとなった。は自己最高の107打点を記録した。 これまで毎年のように3割・30本塁打・100打点前後の成績を記録していたが、は97打点を挙げたものの、打率.277・22本塁打は1988年のメジャー定着後最低の数字となった。チームのスカウトからは「パワーもスピードも衰えたマグリフは、もはや古株選手」と言われたが、本人は年齢による衰えではなく、大きな原因は本拠地の球場がアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムから打者に不利なターナー・フィールドへ移転したためと否定している〔水次祥子「祝新球団誕生 フレッド・マグリフ」『月刊メジャー・リーグ』1998年6月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-6、3項 - 6項。〕。 しかし、1998年、1999年の年俸が合わせて1250万ドルもあったためトレードが噂され、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとタンパベイ・デビルレイズの球団拡張に伴うドラフトの時には保護選手のリストから漏れた〔。そのドラフトの直後の11月18日、デビルレイズにトレードで移籍した。マグリフにとってショックなトレードにもかかわらず、生まれ故郷のタンパでプレイできることに興奮したという〔。 移籍1年目のは19本塁打しか記録できなかったが、翌には5年ぶりに30本塁打の大台を上回った。6月2日に通算400本塁打を達成し、2日後の6月4日に通算2000本安打を達成〔。7月27日にトレードでシカゴ・カブスへ移籍し、はロサンゼルス・ドジャースへ移籍。は再び古巣タンパベイ・デビルレイズでプレイしたが、7月に解雇され、500本塁打目前の493本塁打に留まった。 43の球場で本塁打を記録し、4月26日にサミー・ソーサが44球場で本塁打を記録しこの記録を抜くまで、メジャーリーグ記録であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレッド・マグリフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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