翻訳と辞書
Words near each other
・ フレデリック・ギバード
・ フレデリック・クック
・ フレデリック・クライン
・ フレデリック・クリフ
・ フレデリック・クレインス
・ フレデリック・クレッカー
・ フレデリック・クレメンツ
・ フレデリック・グッドウィン
・ フレデリック・グリフィス
・ フレデリック・グレース
フレデリック・ケリー
・ フレデリック・ケープ
・ フレデリック・ゲドン
・ フレデリック・コイエット
・ フレデリック・コンスタント
・ フレデリック・コンヴァース
・ フレデリック・コーウェン
・ フレデリック・コーエン
・ フレデリック・コーダー
・ フレデリック・コーナー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フレデリック・ケリー : ウィキペディア日本語版
フレデリック・ケリー

フレデリック・ケリー (Frederick ("Fred") Warren Kelly、1891年9月12日- 1974年5月7日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の陸上競技選手。1912年ストックホルムオリンピックの金メダリストである。
== 経歴 ==
ケリーは、カリフォルニア州のオレンジハイスクールを卒業し、南カリフォルニア大学の1年生となった1912年にストックホルムオリンピックのアメリカ代表に選ばれる。ストックホルムでは、110mハードルに出場。予選と準決勝を難なく突破し、決勝はケリー以外に出場していた4人のアメリカ人と、イギリス人1人の6人によって行われた。
スタートしてから、8台目のハードルまで、ケリーを含めた4人のアメリカ選手が横一線であったが、ここからケリーと、ジェームズ・ウェンデルが抜け出しゴール。ケリーが、ゴール直前でわずかに先着しており、金メダルを獲得した。ケリーはこの大会の公開競技として行われていた野球にも出場、スウェーデンとの試合で、7番センターとして先発出場。3打数1安打という成績を残している。
ケリーの国内の成績は、AAU選手権では1913年の120ヤードハードルで優勝。1916年と1919年では2位となっている。また1915年の同大会では、1位となりながらも、4台のハードルを倒したため失格となっている。
彼が通ったオレンジハイスクールの近くに彼の功績を記念したフレッド・ケリースタジアムが存在する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレデリック・ケリー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.