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フレデリック・ヴィクター・ディキンズ : ウィキペディア日本語版 | フレデリック・ヴィクター・ディキンズ フレデリック・ヴィクター・ディキンズ(Frederick Victor Dickins、1838年 - 1915年)は、イギリスの日本文学研究者、翻訳家。イギリス海軍軍医、領事館弁護士として来日し、帰国後はロンドン大学の事務局長(副学長)を務めたが、初の本格的英訳とされる『百人一首』をはじめ、『竹取物語』『忠臣蔵』『方丈記』などを英訳し、日本文学の海外への紹介に先駆的な役割を果たした人物として知られる〔岩上はる子「日本学者 F.V. ディキンズ研究」 滋賀大学seeds 9号、2013,1〕。ハリー・パークス、アーネスト・サトウとも交流があり、南方熊楠も、熊楠が翻訳の手助けをする代わりにイギリス留学中の経済的支援を受けるなど、深い交流があった〔『南方熊楠を知る事典』 松居竜五、月川和雄、中瀬喜陽、桐本東太編、講談社(講談社現代新書)1993年4月〕。 ==略歴== ロンドン大学で医学を専攻し、1859年にイングランド王立外科医師会所属の医師となる〔Sir Ernest Satow's Private Letters to W.G. Aston and F.V. Dickins: The Correspondence of a Pioneer Japanologist from 1870 to 1918 Ernest Mason Satow, Ian C. Ruxton, Lulu.com, 2008〕。1862年にイギリス海軍の船医となり、1864年10月から1866年2月まで横浜に駐在〔。一旦帰国し、1867年にミドル・テンプルに入学し、1870年に法廷弁護士となる〔。1871年に再来日し、英国領事裁判所で働く〔。マリア・ルス号事件の際には、ペルー人船長の弁護を務めた〔。1878年に体調を崩したため、翌1879年に妻と子供らとともに帰国〔A Collector's Guide to Books on Japan in English: An Annotated List of Over 2500 Titles with Subject Index Jozef Rogala, Routledge, 2012, DIKINS, F, VICTORの項〕。1882年にロンドン大学の事務局長補佐となり、1896年に事務局長に昇格〔。1901年の退官後は、ウィルトシャーの村で暮らし、1915年に亡くなった〔。ブリストル大学の日本語講師でもあった〔The University of London, 1858-1900: The Politics of Senate and Convocation Francis Michael Glenn Willson, Boydell Press, 2004〕。
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