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ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り : ウィキペディア日本語版
ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り[ぶだぺすとのどなうかがんとぶだじょうちくおよびあんどらーしどおり]

ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り(ブダペストのドナウかがんとブダじょうちくおよびアンドラーシどおり)は、ハンガリーの世界遺産の一つである。ハンガリーの首都ブダペストはその美しさに定評があり、「ドナウの真珠」〔ex. 青柳 (2003) p.332、世界遺産アカデミー (2009) p.200〕、「ドナウのバラ」〔ex. 太田ほか (1998) p.118、地球の歩き方編集室 (2011) p.34〕、「ドナウの女王」〔ex. 家田 (1991) p.97、加藤 (1991) pp.113ff〕、「東欧のパリ」〔ex. 世界遺産センター (1997) p.30、世界遺産アカデミー (2006) p.230〕など、それを称える異名をいくつも持っている。この世界遺産はその街並みが登録されたもので、登録名が示すようにドナウ川両岸の歴史地区、そして大陸ヨーロッパ初の地下鉄が通るアンドラーシ通りが対象となっている。
登録名の日本語訳には、細かいものも含めるとかなりの揺れがある。それについては、後述を参照のこと。
== 歴史的背景 ==

世界遺産構成資産については後述するが、その前提となる歴史的背景についてあらかじめ概説しておく。
ブダペストの歴史は、2世紀に築かれたローマ帝国の植民都市アクインクム (Aquincum) から始まった〔ICOMOS (1987) p.1〕。アクインクムは現在のオーブダ地区周辺を中心としており、オーブダには神殿、水道橋モザイク画の床など、アクインクム時代の都市遺跡が残っている〔川向 (2004) p.142〕。
マジャール人の移住は9世紀のことで、一帯はむしろ、かつてコントラ・アクインクム(アクインクムの対岸)と呼ばれていた地区(現ペシュト)を中心に発達した〔。
ハンガリーは1241年から1242年にかけてモンゴル帝国の侵攻を受け、その防衛の必要性からペシュトの対岸の丘に城塞が築かれ、エステルゴムから都が移された〔加藤 (1991) p.111〕。これがブダ地区の発展の始まりである。その王宮の丘は、特に先進的なルネサンス文化をイタリアから取り入れた15世紀後半に発展したが、16世紀にはオスマン帝国に占領された〔ICOMOS (1987) p.2〕。オスマン帝国時代にはキリスト教聖堂はモスクに転用され、ブダ城も事故によって大きく損壊した。
17世紀末に神聖ローマ帝国領となった後、特にマリア・テレジアの治世下などで建造物群の修復や増築が大規模に行われたが〔、諸国民の春における民衆蜂起によって、ブダ城などが被害を受けた〔国土庁計画・調整局 (1998) p.50〕。
1872年にはブダ、オーブダ、ペシュトの3地区の統合が決まり、現在のブダペストが成立した。同じ頃のハンガリーはオーストリア=ハンガリー帝国の成立で自治が認められたことから民族意識が高まっており、1896年の建国一千年祭に向け、様々な建築物の改築や新築が進められ、街並みが整えられていった。この中心を担ったのが市の公共事業委員会(1870年設立)で、アンドラーシ通りの建設なども含め、都市計画に基づく街づくりが行われていった〔羽場 (2002) pp.52-54〕。
その建物や橋の多くも第二次世界大戦ハンガリー動乱などで被害を受けたが、20世紀半ば以降に復元され、現在の歴史地区には19世紀後半に整備された町並みがおおむね保存されている。第二次世界大戦後のブダペスト市民の再建姿勢は、できるかぎり忠実に復元させることを重視する一方で、杓子定規に復旧させるのではなく、再現可能性や機能的な必要性(戦後の軍用施設の縮減など)も考慮に入れたものとなっている〔国土庁計画・調整局 (1998) p.52〕。実際、後述するエルジェーベト橋のように、一から再建する際に、意図的に新しいデザインで建て直されたケースも存在している。
こうした古い町並みの保存には、自分の住む町に誇りを持ち、大事にしようとする傾向が強いハンガリーの民族性が関わっているという指摘もある〔国土庁計画・調整局 (1998) p.51〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の詳細全文を読む



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