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ブライアンズタイム('、1985年5月28日 - 2013年4月4日)はアメリカ合衆国の競走馬であり、フロリダダービー、ペガサスハンデキャップに勝利した。のちに日本に種牡馬として輸入されたサラブレッドである。、1985年5月28日 - 2013年4月4日)はアメリカ合衆国の競走馬であり、フロリダダービー、ペガサスハンデキャップに勝利した。のちに日本に種牡馬として輸入されたサラブレッドである。 == 経歴 == 競走馬時代は後に種牡馬でもライバル関係となるフォーティナイナーを下した1988年3月のフロリダダービー優勝を含め21戦5勝。アメリカ三冠競走にも参戦し、ケンタッキーダービー6着、プリークネスステークス2着、ベルモントステークス3着の成績を残している。現役引退後日本に種牡馬として移り、早田牧場(2002年破産)が中心となってシンジケート「ブライアンズタイム会」が結成された。早田牧場は当初本馬ではなく、この馬のいとこで1988年の全米芝牡馬チャンピオンであるサンシャインフォーエヴァーを購入するつもりであった。しかし、競走実績の高さから当時の所有者・ダービーダンファーム側が高い価格を提示し、交渉が決裂した。そこで母が全姉妹、さらに同じ父とほぼ全兄弟も同然の血統構成を持ち〔2006年ケンタッキーダービー優勝馬バーバロの父であるダイナフォーマーも、父Roberto、母の父His Majesty(本馬の母の父グロースタークの全弟)、三代母(曾祖母)Golden Trail(本馬の祖母)と、本馬の従甥でかつ血統構成がほぼ共通となっている。〕、自身も重賞勝ち馬であったブライアンズタイムに白羽の矢が立てられ代替購入となった〔サンシャインフォーエヴァーも後年輸入されたものの目立った活躍馬の出ないまま種牡馬を引退している。これは代替種牡馬が本元を超えた数少ない例となっている。〕。 種牡馬入り時は折からのリアルシャダイブームだったこともあり同じ父を持つ本馬は中々の人気となった。産駒はその期待に応え、初年度から中央競馬では20世紀最後(史上5頭目)の日本のクラシック三冠馬となったナリタブライアン、優駿牝馬(オークス)優勝馬チョウカイキャロル、地方競馬でも同じく初年度産駒から、通算43勝という日本の戦後競馬のサラブレッド系最多勝利記録を樹立する事になる北関東の最強馬ブライアンズロマン、そのブライアンズロマンをとちぎダービー(宇都宮)で破ったカルラネイチャーなどを輩出し、中央・地方を問わず競馬関係者から大きな注目と期待を集める事となった。 2002年に早田牧場が経営破綻した後、ブライアンズタイムの繋養先が早田の関連牧場・CBスタッドからジェイエスの関連牧場・アロースタッドに移動。後にブライアンズタイム会の運営はジェイエスが行うこととなった。 2000年産駒以降クラシックで好走していなかったが、2007年の皐月賞でヴィクトリーが勝利を収め、タニノギムレット以来のクラシックホースを出した。サンデーサイレンスという大種牡馬の存在もあってリーディングサイアーこそ取れないものの、多くの活躍馬を出し、1996年から11年連続でリーディング3位以内を保った。 2009年4月25日の京都競馬場1Rにおいて産駒のグランプリスマイルが勝利し、中央競馬における種牡馬勝利数がサンデーサイレンス、ノーザンテーストに次いで歴代3位となった。また、2010年3月28日に中山競馬場で開催されたマーチステークスで産駒のマコトスパルビエロが勝利し、パーソロン、ノーザンテーストに並び史上1位タイとなる18年連続での産駒の中央競馬重賞勝利を達成した。2012年11月11日にレインボーダリアがエリザベス女王杯を勝利してブライアンズタイム産駒の20年連続重賞制覇を達成した。 2013年4月4日、放牧中に転倒して右後大腿骨骨折を発症したため安楽死の処置が施された。高齢ながら健康には問題がなく、2013年も30頭ほどに種付けの予定があり、すでに10頭に種付けを行なった後での急逝であった。 1990年代後半にはサンデーサイレンス、トニービンと三強種牡馬として君臨していたが、ブライアンズタイム自身は他二頭よりも10年以上存命期間が長く、高齢となっても種牡馬として供用され、長期間にわたって産駒を出し続けた。今後は後継種牡馬が系統の生き残りをかけて争うことになる。代表産駒であるナリタブライアンこそ夭逝したが、マヤノトップガンは現在まで種牡馬としてある程度の実績を残しており、タニノギムレットも牝馬の東京優駿(日本ダービー)優勝馬ウオッカを出すなど実績を挙げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブライアンズタイム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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