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ブラジル領南極(ブラジルりょうなんきょく、もしくは)とは、1986年にブラジルが興味ある区域(「利益圏」)として提案した地域。南極大陸の西経28度から西経53度の間、南緯60度以南の範囲(341,000km²)で南極点を中心とした扇形をなしている。その実態について正確に定義されたことはないが、この地域と地理的に重複するアルゼンチンやイギリスの領有権主張に対して公式に反論してはいない。1975年5月16日に南極条約を締結した際、「正面理論」という理屈に言及し、南極大陸における領有権を表明した。 この正面理論(')とは、ブラジルの地政学者テレジーニャ・デ・カストロによって提案され、彼女の著書''Antártica: Teoria da Defrontação''にまとめられている。これは南米各国の海岸線を同経度の南極大陸の海岸線に投影することを基準として、西経24度から西経90度までの南極大陸を南米各国で分割し、南米が声を合わせて南極に対する権益を主張するという理論であるが〔 http://www.geografia.fflch.usp.br/graduacao/apoio/Apoio/Apoio_Conti/Antartida.PDF Teoria de Defrontação〕、すでに独自の領有権主張を行っているアルゼンチンとチリには受け入れられていない。 「興味ある区域」以外では、ブラジルは通年基地としてコマンダンテ・フェラス基地(UN/LOCODE:AQ-CFZ)を持っている。これは南極半島の先端近く、キングジョージ島アドミラルティ湾、の地点に位置する。)とは、ブラジルの地政学者テレジーニャ・デ・カストロによって提案され、彼女の著書''Antártica: Teoria da Defrontação''にまとめられている。これは南米各国の海岸線を同経度の南極大陸の海岸線に投影することを基準として、西経24度から西経90度までの南極大陸を南米各国で分割し、南米が声を合わせて南極に対する権益を主張するという理論であるが〔 http://www.geografia.fflch.usp.br/graduacao/apoio/Apoio/Apoio_Conti/Antartida.PDF Teoria de Defrontação〕、すでに独自の領有権主張を行っているアルゼンチンとチリには受け入れられていない。 「興味ある区域」以外では、ブラジルは通年基地としてコマンダンテ・フェラス基地(UN/LOCODE:AQ-CFZ)を持っている。これは南極半島の先端近く、キングジョージ島アドミラルティ湾、の地点に位置する。 ==歴史== 1982年、ブラジル政府は初の南極探検隊を送り込み、1年後に同国初の基地を建設する(南極大陸での活動において死んだ海軍士官にちなみ、コマンダンテ・フェラスと名付けられた)。建設以来、通年基地として機能している。南極におけるブラジルの立場は新参者だが、特に1964年から1985年にかけての軍事政権下において、ブラジルの地政学者は南極に対する国家の政策に大きな影響力を持っていた。ただし、ブラジルではアルゼンチンやチリとは異なり、南極における領有権に対する国民の意識は薄かった。 1991年2月、フェルナンド・コロール・デ・メロ大統領はブラジルの南極基地を3日間訪れ、ブラジルはこの領域に関心があると再び主張した。メロは南極大陸に足を踏み入れた初のブラジル大統領となった。 2008年1月、ブラジル議会のブラジル領南極委員会の議員13人が同国南極基地を訪れた。2009年1月には別の議員が訪れている。 2008年2月16日、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領と、夫人のを含む23人の代表団がブラジルの南極基地を訪れた。ブラジル政府はこの大統領の訪問を、同国の科学者や軍人の仕事を支持する「政治的な意思表明」と位置づけた。 2009年、ブラジルは南極氷床に初の国家的な科学的探検を実施した。探検はパトリオットヒルズ、そしてエルズワース湖(氷底湖)の領域に沿って、大気圏、雪氷学、地質学、そして地球物理学の見地から総合的に行われた。2回目の調査は2011年11月上旬に予定されており、その際には調査員が南極点から約500キロ、コマンダンテ・フェラス基地 (EACF) から約2,500キロ離れた場所に監視局(さらに上級の基地)を設置する予定である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブラジル領南極」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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