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ブラックイーグルス : ウィキペディア日本語版
ブラックイーグルス

ブラックイーグルス朝鮮語블랙이글스英称Black Eagles)は、大韓民国空軍第8戦闘航空団隷下の曲技飛行隊江原道原州市にある原州空軍基地を拠点に活動している。
== 歴史 ==
1953年、韓国空軍初の特殊飛行試験がP-51戦闘機で実施される。同年10月1日には停戦に伴う国軍の日の関連行事の一環として泗川飛行場でP-51戦闘機4機による編隊飛行や特殊飛行および対地攻撃を初めて公開する。その後1954年から1958年までは毎年国軍の日に漢江上空で特殊飛行を実施していた。
1962年、チーム名「ブルーセイバー」としてF-86戦闘機を装備し、同年10月2日に漢江上空にて本格的なエアーショー的性格を備えた曲技飛行を披露した。翌1963年から1966年まで、毎年10月には漢江と韓国各地にて飛行展示する。
1967年、F-5A戦闘機の導入に伴い「ブラックイーグル・チーム」が結成される。これは国軍の日のために3から4ヶ月間のみの臨時編成で常設ではなかったが、現在のブラックイーグルスの原型となった。これ以降、1978年まで活動する。
1978年、機体の老朽化に伴う新機種選定までの間、活動は中断される。
1994年12月12日、空軍参謀総長の指示により韓国唯一のアクロバットチームとして第8戦闘航空団第238飛行大隊第2飛行隊ブラックイーグルスが再編成される。装備機種はA-37B軽攻撃機であった。以降、1995年の光復50周年や1996年のソウルエアショーなど各種行事に参加する。1998年5月8日、訓練飛行中に2機が空中で衝突しチームリーダーのパイロットが殉職する。1999年4月1日、正式に第239特殊飛行隊ブラックイーグルスとして独立する。2005年5月5日の祝賀飛行中に1機のA-37Bが墜落しパイロットが殉職する。
2007年10月21日のソウルエアショーで最終飛行が実施され、10月31日に第239特殊飛行隊は一時解隊される。空白期の2008年にT-50特殊飛行チームが結成される。
空軍の改編に伴い再編成は2010年に予定されていたが前倒しされ、2009年3月にT-50特殊飛行チームは転換され、8月にT-50Bを8機装備して第239特殊飛行大隊に増設され、9月23日の大韓民国建国60周年記念飛行を実施する〔Korea Joongang Dally(中央日報) Tail blazers 2009年9月23日〕。2011年4月にT-50Bの戦力化が完了する。2012年7月1日、ワディントン国際航空ショーにおいて最も的確な飛行を展示したためにベスト・ディスプレイ賞ボーイング・トロフィーを受賞した〔This Is Lincolnshire Black Eagles best display as 125,000 visit Waddington Air Show 2012年7月2日〕。7月8日にはイギリス王室主催の世界最大の軍用機の祭典〔ROYAL INTERNATIONAL AIR TATTOO 2012 〕、RIAT(Royal International Air Tattoo)で、デモ飛行最優秀賞と人気賞を受賞した〔SOUTH KOREANS SCOOP TWO AWARDS 〕。同年11月15日、江原道上空を飛行中のところ1機のT-50Bが墜落しパイロットが殉職している。
2014年、ブラックイーグルスは、同年11月に中国で開催される航空ショーに参加する予定だったが、アメリカ側から「使用するT-50の技術が中国に流出する恐れがある」との申し入れを受け、参加取りやめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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