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ブラック・ケトル(Black Kettle、Mo'ôhtavetoo'o, 1813年 - 1868年11月26日)は、アメリカインディアン・シャイアン族のウタパイ・バンドの酋長(チーフ)。 ==人物== 本名のモケタヴァト(Mo'ôhtavetoo'o)は「黒い薬缶」というような意味なので、「ブラックケトル」と英訳名がついた。ブラックケトルは、シャイアン族の非常に慎重で温厚な酋長で、白人との対立を望まず、和平を結びたがった老賢者だった。 アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり、「首長」や「族長」のような権力者は存在しない。白人が「指導者」だと思っている「酋長」(チーフ)は、実際には「調停者」であって、「部族を率いる」ような権限は持っていない。インディアンはすべてを合議で決定するのであって、個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。 しかし白人たちは、インディアンとの条約交渉の際に、「酋長」を「代表」、「指導者」だと勘違いして、彼らと盟約することによって全部族員を従わせようとした。しかしこれは全くの思い違いであり、酋長は和平の提案はするだろうが、それはあくまで調停であって、部族民を従わせたり、強制するような立場ではない。そんな立場はインディアンの社会には存在しないのである。 ブラック・ケトルたちウタパイ・バンドは1851年のララミー砦条約で合衆国がウタパイ・バンドに対して「シャイアン族の領土である」と保証した、西カンザスから東コロラドの土地で、バッファローを追って暮らしていた。シャイアン族を妻に持ち、彼らの野営近くにインディアン相手の交易所ベント砦を開いていた、白人交易業者のウィリアム・ベントとは特に友好が深かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブラック・ケトル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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