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ブラビ : ウィキペディア日本語版
ブラックビスケッツ

ブラックビスケッツ (BLACK BISCUITS) は、日本テレビ系の当時の看板バラエティー番組、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(1996年4月 - 2002年3月)から誕生した、企画ユニット・音楽グループ。
通称ブラビ中国語繁体字表記は、簡体字表記では、。
''。簡体字表記では、
''。

== 沿革 ==
1997年1月10日初登場。当初はポケットビスケッツを潰すために結成された、南々見、天山、ビビアンの悪者3人グループであり、ポケビの曲が流れると耳を塞いでわめいたり、ゲームで勝利することでエンディングで流れるポケビ曲の時間を削り、その時間をブラビ3人で歌う演歌のカラオケ等で埋めるなど意地悪を行っていた。一時はメンバー引き抜きを賭けたミニ四駆対決に勝利して、テルウドの引き抜きに成功し、ポケビを消滅寸前に追い込んだものの、最終決戦となった綱渡り対決でサーカス団に頼み込んでまで練習を重ねた千秋のポケビ存続への執念の前に敗れ去り、ポケビ消滅計画は脆くも崩れ去った。因みに彼らの悪事は台本によるものであるが、真に受けた視聴者からブラビへの批判・苦情が殺到。番組内で多数紹介された。
その後、ポケビグッズに対抗して作ったブラビグッズが(わざと)高価だったこともあり全く売れず、それをなんとかして売る企画を開始すると共に徐々に悪役からシフトチェンジ。1997年10月17日の放送で、地味さ・悪者風を強調した黒系の衣装を、(台湾デビューの際にビビアンが台湾人に不快感を与えないようにと準備した)2代目の赤を強調した衣装へ変更して以降は大幅なイメージチェンジをし、『Timing』発売時にはオレンジ色の衣装となるなど、それ以降の衣装は明るくなっていった。楽器のポケビに対し、ダンスユニットとしてのブラビをアピールする。途中、「貧乏脱出」の為、南々見の作ったおかしな人形の販売に振り回されたりとおもしろぶりも発揮した。「私、歌売れなかったら台湾人気無い、日本女優は言葉出来ない。行くとこない!」というビビアンの執念も功を奏し大活躍をはたす。
1997年12月、先輩格のポケットビスケッツに続いて『STAMINA』で待望のCDデビュー。オリコン初登場順位が26位(ポケットビスケッツのファーストシングル『Rapturous Blue』のオリコン初登場順位)より下だと即解散というルールだったが、これをクリアした(オリコン初登場2位)。
ブラビの目標は「アジア進出」。NHKのアジア歌謡祭に出場したりとアジア進出を行った。第3弾シングルの『Relax』が南々見と天山によるメインボーカルになったのは、「台湾での売り上げがいいのはビビアンのおかげというのは感じている。アジア進出の為には、ビビアンの人気にいつまでもおんぶするわけにはいかない」という南々見の考えからである。 このブラビの活動により、ビビアンの母国である台湾でもウリナリの放送が行われた。ウリナリの全編が放送されていた為、台湾では全くと言っていいほど活動していないポケビのファンになった台湾の視聴者も数多くおり、放送局へポケビ宛のファンレターも届いていた。その事を知った南々見と天山は、「あいつら台湾に来て大人気になったらどうするんだ!」と焦っていた。
ライバルポケビとの対決は番組の看板ともなり、毎週の対決が人気を呼んだ。1998年1月、ポケビと武道館ライブを賭けて対決したが敗れた(が、ポケビの計らいによってライブに登場できた)。3月には新曲の賭かったポケビとのガソリンすごろく対決を制し4月22日に『Timing』を発売。番組から作られたユニットのCDとしては最高のセールスを記録し、オリコン及び『CDTV』で初登場2位となり、結果約200万枚を出荷するミリオンヒットに。この年のCDTV年間チャートでは第3位にランクインしている。1998年NHK紅白歌合戦にポケビ、ブラビスペシャルバンドとして(和解をとげ)、初出場している。なお、『Timing』の売れ行きが悪かったら、メンバーがビビアンではなくスージー・カンに、天山ではなく当時アニマル梯団であったコアラに、そして南々見ではなくよゐこ濱口優に変更されるという条件があったが、大ヒットであったためメンバー変更は無かった。
1999年4月までは前述の3人で活動していたが、5月に更なる上を目指しケディが加入し4人ユニットとなった。日本全国、CDの告知、売り上げ向上に飛び回り、ブラビ単独ライブもはたしている。だが7月、シングルの『Bye-Bye』がウリナリ!!で指定された枚数の売上(発売2か月で売上73万枚。これはオリコン調べによる『STAMINA』の売上枚数を上回る)を達成できず、南々見とケディが脱退。番組内で発表された発売直後の売り上げがブラビのそれまでのシングルより最低の枚数だったことから解散は確実と懸念する声も多く、タイムリミット直前まで『TVおじゃマンボウ』などでアピール活動を展開したが、流れを変えられず、結果としてブラックビスケッツの活動は終了した。番組上は活動停止という形で自然消滅の流れを作り、11月以降はビビアンが番組を降り、その後南々見、天山、ケディの3人で南々見組を結成した。
そして、2002年3月、最終回のウリナリ祭りで特別復活をはたしている。「みんな悪い子にしてたかぁ?」と南々見が叫び、ブラビが悪い子であることをアピール、ブラビ魂の健在を示した。『Bye-Bye』の途中で歌詞の一部分をビビアンが間違えるというハプニングもあったが、ライブは無事にできた。なおその時、ビビアンの歌詞間違いに気づいていたのは南々見1人だけだった。
ビビアンはブラビの曲を「1人では歌わないの。アレはブラビの曲、いつかアニキ達と歌えると信じてるから。」とコメントしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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