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ブランチ・ダビディアン(Branch Davidian)は、アメリカ合衆国を拠点とする新興宗教であり、セブンスデー・アドベンチストの分派の「ダビデ派セブンスデー・アドベンチスト教会」(通称:ダビデアンズ)から、1955年に分裂・分派したプロテスタント系のセクトである。 == 概要 == 1934年に結成された。当初、ヨハネの黙示録による終末思想を思想体系とする小さな教団に過ぎなかったが、1990年にバーノン・ハウエルが新教祖に就任したのをきっかけに選民思想を説き、ブランチ・ダビディアンの信者達だけが最終戦争に生き残ることを神に認められた民と位置づけ、カリスマ的な独自の布教で信者を獲得した。ハウエル自身はデビッド・コレシュと改名。デビッドはイスラエル王国のダビデ王にちなみ、コレシュはバビロン捕囚のユダヤ人を解放したペルシャ皇帝キュロス2世にちなむ。教団は最終戦争に向け武装化を強力に推進し、大量の銃器を不正に獲得、司法当局やマスメディアに注目されるに至る。 1993年2月28日、テキサス州ウェーコの教団本部(マウント・カルメル・センター)に対し強制捜査が行われるが、ダビディアンはバビロニア軍隊に攻撃されるであろうとの予言を信じていたため、連邦捜査官をバビロニア軍隊と思い込んだ信者の応酬はすさまじく、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)の捜査官4名、ダビディアン側6名の死者を出す。さらにはATFから捜査情報が事前に漏れていたため、テレビ局のカメラの前で銃撃戦の様子が放映され、世界中に衝撃を与えた。 この後、捜査はFBIが引継ぎ、全米国民が見守る中、51日間の膠着が続いた。ダビディアン側は武器弾薬に加え、1年分以上の食料を備蓄し籠城した。同年4月19日、司法長官ジャネット・リノは強行突入を決行。19台におよぶ戦車、装甲車、武装ヘリコプター、催涙弾などで突入。ところが、信者は意に反し投降しなかった。その後、突然建物から出火、教団本部は炎に包まれ、ほとんどの信者は焼死した。コレシュを含め81名の死者を出し、内子供が25名、生存者は9名であった。 本部を失ったものの、教団自体は現在もなお存続しており活動を続けていると言う。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブランチ・ダビディアン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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