翻訳と辞書
Words near each other
・ ブランデンブルクの奇跡
・ ブランデンブルクの門
・ ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル
・ ブランデンブルク協奏曲
・ ブランデンブルク国際空港
・ ブランデンブルク家の奇跡
・ ブランデンブルク州
・ ブランデンブルク工科大学
・ ブランデンブルク級フリゲート
・ ブランデンブルク級戦艦
ブランデンブルク統治者の一覧
・ ブランデンブルク辺境伯
・ ブランデンブルク辺境伯領
・ ブランデンブルク選帝侯
・ ブランデンブルク選帝侯領
・ ブランデンブルク門
・ ブランデンブルク門駅
・ ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
・ ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領
・ ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ブランデンブルク統治者の一覧 : ウィキペディア日本語版
ブランデンブルク統治者の一覧[ぶらんでんぶるくとうちしゃのいちらん]

ブランデンブルク統治者の一覧(ブランデンブルクとうちしゃのいちらん)では、神聖ローマ帝国領邦君主の一人であるブランデンブルク辺境伯選帝侯)を一覧で列挙する。
ブランデンブルク辺境伯領は神聖ローマ帝国の主要な構成国の一つである。1157年ノルトマルク辺境伯アルブレヒト1世(熊公)がブランデンブルク辺境伯を設置したことに始まる。1356年カール4世金印勅書を発したことで選帝侯の地位を獲得する。
初期は様々な家系が支配したが、1415年以降は一貫してホーエンツォレルン家が5世紀にわたって統治した。ブランデンブルク辺境伯及び選帝侯は1806年の神聖ローマ帝国崩壊で廃された。しかしながらホーエンツォレルン家はプロイセン王国(ホーエンツォレン家は1701年に「プロイセンの王」を、1772年にはプロイセン国王の地位を獲得した)と名を変えてベルリンを中心として統治し続けた。1871年から1918年の間にはドイツ皇帝も兼ねている。
== ブランデンブルク辺境伯 ==

















アスカーニエン家
名前
統治期間
備考
アルブレヒト1世
1157年 - 1170年
1134年以降はノルトハイムの統治者。「熊公」と呼ばれた。
オットー1世
1170年 - 1184年
アルブレヒト1世の息子で1144年からは父親と共同統治。
オットー2世
1184年 - 1205年
オットー1世の息子。
アルブレヒト2世
1205年 - 1220年
オットー2世の弟。

*ヨハン1世
*オットー3世

*1220年 - 1266年
*1220年 - 1267年
アルブレヒト2世の息子、共同統治。
1266年から1319年の間、ブランデンブルクは共に辺境伯の称号を持つブランデンブルク=シュテンダルとブランデンブルク=ザルツヴェーデルの2つの系統に分裂した。
ブランデンブルク=シュテンダル
ブランデンブルク=ザルツヴェーデル

ヨハン1世の息子たちの共同統治:
*ヨハン2世(1266年 - 1282年)
*コンラート(1266年 - 1304年)
*オットー4世(1266年 - 1308年)
*ハインリヒ1世(1266年 - 1318年)

オットー3世の息子たちの共同統治:
*ヨハン3世(1267年 - 1268年)
*オットー5世(1267年 - 1298年)
*オットー6世(1267年 - 1291年)
*アルブレヒト3世(1267年 - 1300年)

共同統治:
*ヴァルデマール(1308年 - 1319年) - コンラートの息子。
*ハインリヒ2世(1319年 - 1320年) - ハインリヒ1世の息子。

共同統治:
*ヘルマン(1298年 - 1308年、1300年以降は単独統治)
*ヨハン5世(1308年 - 1317年)
1320年にアスカーニエン家が断絶すると、ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がブランデンブルクを獲得し、後に長男のルートヴィヒ5世を封じた。
ヴィッテルスバッハ家
名前
統治期間
備考
ルートヴィヒ2世
1323年 - 1351年
ハインリヒ2世の従弟で神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の息子。
ルートヴィヒ3世
1351年 - 1356年
ルートヴィヒ2世の弟。1356年に選帝侯位を獲得。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブランデンブルク統治者の一覧」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.