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ブランドン・タイラー・ウェブ(Brandon Tyler Webb , 1979年5月9日 - )は、アメリカ合衆国ケンタッキー州アシュランド出身の元プロ野球選手(投手)。 日本語メディアにおいてはブランドン・ウェッブと表記されることもある。 にはナショナルリーグのサイ・ヤング賞を受賞した。 == 経歴 == === アマチュア、マイナー時代 === 幼少期はアトランタ・ブレーブスのファン〔George Castle / Special to MLBPLAYERS.com, "Webb cherished Doby card as a child / D-Backs pitcher followed Braves stars growing up ," ''MLBPLAYERS.com'', May 14, 2008. 2008年9月14日閲覧。〕。リトルリーグでは三塁手をしていたが、高校の野球部では投手に転向する。高校卒業時にはMLB球団からのドラフト指名こそなかったものの、いくつかの大学から奨学生のオファーをもらい、その中からケンタッキー大学を選んで進学する〔"Brandon Webb Biography ," ''JockBio.com''. 2008年9月25日閲覧。〕。大学時代のウェブは、90mph台前半(148.8km/h前後)の速球とカーブを投げる速球派投手だった〔Joe Lemire, "Webb's signature pitch leaves opponents with sinking feeling ," ''SI.com'', July 11, 2008. 2008年7月19日閲覧。〕。ある日の試合で上級生が学業成績悪化のためプレイできなくなり、ウェブが代わりに先発登板、そこで好投したためそのまま先発に定着した〔三尾圭 「ブランドン・ウェッブ[ダイヤモンドバックス]無名のサイ・ヤング賞投手」 『月刊スラッガー』2007年11月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-11、48-51頁。〕。、ウェブは18試合112.0投球回で7勝3敗・防御率4.58・123奪三振という成績を残している。このときのチームメイトにはジョー・ブラントンがいる。 同年、アリゾナ・ダイヤモンドバックスからドラフト8巡目(全体249位)で指名され入団。この年にマイナーA級サウスベンドで初めて投球練習した際に、投手コーチのロイヤル・クレイトンから「君の球には物凄く Movement があるんだから、もっとツーシームを投げてみないか?」と言われ、投げてみたところ「自分でもビックリするぐらい」大きく沈む変化を見せたという〔ナガオ勝司 「ゴロ誘発の心得/ウェブ[ダイヤモンドバックス]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年7月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-7、22-25頁。〕。ウェブはこれを受けて「自分の投球スタイルを全面的に変えることにした。三振の代わりにゴロを打たせるようにした」と、シンカーボーラーへの変身を決めた〔。この年は「あまり気乗りしなかった」というリリーフで12登板して終わったが〔、翌にAdv-A級ランカスターに昇格すると29登板中28試合で先発。しかし、投げる本人でさえどこに行くかわからないというツーシームの制球に苦しみ、この年は6勝10敗・防御率3.99・27与死球という成績で終えた。 にAA級エルパソに昇格したウェブは、そこでクレイトンとマーク・デイビスの2コーチから指導を受け、ツーシームを会得する〔。これまで速球はフォーシームとツーシームとを使い分けていたウェブだが、この年からフォーシームをやめてツーシームだけを投げるようにした〔。エルパソでの26試合で10勝6敗・防御率3.14を挙げると、シーズン途中にAAA級ツーソンへ昇格。翌にツーソンで3試合に登板後、4月にメジャー昇格を果たす。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブランドン・ウェブ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Brandon Webb 」があります。 スポンサード リンク
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