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ブリタニア橋 : ウィキペディア日本語版
ブリタニア橋[ぶりたにあきょう]

ブリタニア橋(ブリタニアきょう、、)は、メナイ海峡を横断してアングルシー島ウェールズ本土(グレートブリテン島)を結ぶイギリスである。当初は箱型の断面をもつ錬鉄製として、鉄道橋としてロバート・スチーブンソン設計・施工により完成した。1970年に発生した火災を受けて、道路・鉄道の双方を通す橋として鋼鉄製2連として再建された。
== 橋の設計 ==

後にブリタニア橋が建設されることになる地点の1マイル(約1.6 km)東に1826年に建設のが開通して、初めてアングルシー島と本土を結ぶ道ができた。鉄道が人気を博するようになるにつれて、ロンドンホリーヘッド港を直接結ぶを通せる2番目の橋が必要になってきた。
他の方法で鉄道を通すことも提案され、たとえば1838年には既存のメナイ吊橋を渡そうというものもあった。この提案について意見を求めるために鉄道のパイオニアであるジョージ・スチーブンソンが招かれたが、吊橋の再利用について関心を表明しただけであった。1840年までに、財務委員会はおおむねスチーブンソンの提案に傾き、1845年にブリタニア橋を通る経路を最終承認した。ジョージ・スチーブンソンの息子、ロバート・スチーブンソンが主任技術者に指名された。
橋の設計では、海峡を船が通航可能なようにする必要があり、かつ列車の通行に伴う重い荷重に耐えられるように十分頑丈である必要もあった。このためスチーブンソンは、2連の主桁をいずれも長さ460フィート(約140 m)の箱型の鉄のチューブ状に造った。それぞれは1,500英トンの重さがあり〔〕、石造の橋脚によって支持されている。中央の橋脚はブリタニア岩礁の上に建設された。さらに2連の230フィート(約70 m)長の支間があって、全長1,511フィート(461 m)の連続桁となっている。列車はこのチューブの中を走る。この時点までで錬鉄製の橋で最も長い支間は31フィート6インチ(約9.6 m)であった。
スチーブンソンは有名な技術者2人をコンサルタントとして雇っていた。は彼の父親(ジョージ)の旧友であった。または、材料強度学の指導的な理論家であった。ホジキンソンは、チューブを十分頑丈に造ることは非現実的であると考えており、で補助の支持を行うべきだと助言した。しかしフェアベアンは鎖は不必要だと考え
各部品が正しく均衡がとれ、板が適切に鋲止めされているならば、鎖を省いてこの橋が建設された時代の進取の精神とエネルギーを示す有効なモニュメントとできるでしょう

と宣言した。
受け取った技術的な意見はホジキンソンの主張と一致するものであったが、しかしスチーブンソンはかなり心配しながらもフェアベアンの分析を支持した。フェアベアンのにおいて、75フィート(約23 m)の長さの模型が造られて実験が行われ、最終設計の基礎として用いられた。スチーブンソンはチューブの断面形状として楕円形を推していたが、フェアベアンの好む箱型断面が採用された。フェアベアンは、チューブの天井部分の部品の分割製造と、側面のパネルを固定する補剛材の開発に責任を持つことになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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