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ブリティッシュ・コマンドス(British Commandos)とは、イギリス軍が有したコマンド部隊である。第二次世界大戦中の1940年6月、ウィンストン・チャーチル首相の命令によって編成された。その主たる任務はナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにおいて様々な特殊任務を遂行する事であった。当初はイギリス陸軍からの志願者で編成されていたが、後に海軍及び空軍を含むイギリス全軍からの志願者や占領地出身の外国人義勇兵なども大勢加わった。 第二次世界大戦を通じて、ブリティッシュ・コマンドスの戦力は30個以上の小部隊と4個の戦闘旅団を数え、その活動範囲は北極圏から欧州、中東、東南アジアなど多岐にわたった。多くの場合、ブリティッシュ・コマンドスは少数編成部隊で活動し、連合軍主力の前進に先立って空挺降下や敵前上陸によって敵地に侵入する事を求められた。 戦後、ブリティッシュ・コマンドスは解体され、部隊としてはイギリス海兵隊ののみ残された。ただし、現在の海兵隊コマンド部隊や、特殊空挺部隊(SAS)、特殊舟艇部隊(SBS)などの部隊はかつてのブリティッシュ・コマンドスに起源を持つ。またフランス海軍の海軍コマンドやオランダ陸軍の(KCT)、ベルギーの、アメリカ合衆国のなどはいずれもブリティッシュ・コマンドスからの影響を受けている。 ==編成== 1940年6月、イギリス軍における特殊活動部門としてコマンドスの編成が始まった。ダンケルク撤退の後、英国首相ウィンストン・チャーチルは部隊の再編成と装備の収集がドイツへの打撃となり、英国の士気を支えるのだと語った。チャーチルは統合参謀本部にてドイツ占領下のヨーロッパに対する攻勢を検討する会議が開かれた際、「例えば敵地沿岸を恐怖で支配できるような、狩人のように特殊な訓練を積んだ部隊を用意しなければならない〔」と語った。これに先立って参謀将校中佐がの大将に対して類似の提案を行なっている。チャーチルの言葉を受け、ディルはクラークの提案を承認し〔Haskew, p.47.〕、1940年6月23日には最初のコマンド攻撃が行われた〔Haskew, pp.47–48.〕。 当時、特別活動の志願者は陸軍の一部からのみ募集する事が認められていた。新たな特殊部隊の構成員も、ある解散した師団のから調達された。この中隊は在ノルウェーの国防義勇軍の隊員によって構成されていた。 1940年秋までに2,000人以上の志願兵が集まり、1940年11月にはJ・C・ヘイドン准将によって4個大隊規模の(Special Service Brigade)に再編成された〔Joslen, p.454.〕。この特殊任務旅団はまもなく12個部隊による編成となり、コマンドス(Commandos)と呼ばれるようになる〔Haskew, p.48.〕。コマンドスに所属する各コマンド部隊は、おおむね450人の将兵によって構成され、指揮官は中佐が務めた。またコマンド部隊には75人ずつの小隊(troops)と15人ずつの分隊(section)という下級編成が存在した〔。所属する隊員らの身分は各原隊からの出向という形をとっており、彼らはベレーに原隊の連隊章を着用し、給与も各原隊から支払われていた〔Moreman, p.12.〕。コマンドスはに直属して作戦行動を行った。最初に合同作戦司令部司令官として選ばれたのは、第一次世界大戦中にガリポリの戦いやゼーブルッヘ襲撃に参加した海軍大将である〔Chappell, p.6.〕。キースは1941年10月に職を退き、ルイス・マウントバッテン中将がこれを継いだ〔。そして1943年10月にマウントバッテンから職を継いだ少将が最後の合同作戦本部司令官となる〔Chappell, p.30.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブリティッシュ・コマンドス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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