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ブルーリックスの戦い : ウィキペディア日本語版
ブルーリックスの戦い[ぶるーりっくすのたたかい]

ブルーリックスの戦い(英:Battle of Blue Licks)は、1782年8月19日に、アメリカ独立戦争中のケンタッキーで最後に行われた戦いである。戦いが行われたのは、ヨークタウンチャールズ・コーンウォリスが降伏した10ヵ月後であり、実質的には東部における独立戦争が終わっていた。現在のケンタッキー州ロバートソン郡のリッキング川に隣接する丘で、50名のイギリス軍レンジャーズと300名のインディアンが待ち伏せを掛け、182名のケンタッキー民兵隊を崩壊させた。独立戦争中のケンタッキーでは最大の敗北となった。
== 背景 ==

=== コールドウェル遠征隊 ===
1781年10月にコーンウォリス配下のイギリス軍がヨークタウンで降伏したものの、西部辺境での戦いは続いていた。デトロイト砦のイギリス軍に支援されたオハイオ川の北のインディアンは、西バージニア(今日のケンタッキーとウエストバージニア州)からアメリカ人開拓者を追い出す動きを倍加させていた。
1782年7月、オハイオ郡のマッド川上流に近いショーニー族の集落でインディアンの大規模な集結が行われた。参加したのは、ショーニー族以外に、デラウェア族、ミンゴ族、ワイアンドット族、マイアミ族オタワ族、オジブワ族、およびポタワトミ族であった。ウィリアム・コールドウェル大尉に率いられた150名のイギリス軍レンジャーズと、アレクサンダー・マッキー、サイモン・ガーティおよびマシュー・エリオットに監督された1,100名のインディアンがオハイオ川のホイーリングに対する攻撃に派遣された。これはアメリカ人開拓地に送られた軍隊としては最大規模のものであった。
しかし、斥候の調査によって、インディアンが他のアメリカ人指揮官の誰よりも恐れていたジョージ・ロジャース・クラークが、ケンタッキーからオハイオ領土に侵攻する準備をしているとの情報が入り、この遠征隊は中止された。コールドウェルの部隊はクラーク隊を阻止するためにマッド川まで戻ったが、クラーク隊は現れなかった。クラーク隊出動の噂は虚報だと分かった。クラークはオハイオ川を哨戒するために大きな船を用意していたが、遠征の準備をしているのではなかった。この事態の展開に憤懣を募らせたインディアンの多くは分散してしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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