|
リチャード・ブレイク・パーカー(Richard Blake Parker, 1985年6月19日 - )は、アメリカ合衆国・アーカンソー州ワシントン郡フェイエットビル出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はシアトル・マリナーズ傘下に所属。 == 経歴 == 、MLBドラフト16巡目(全体479位)でシカゴ・カブスから捕手として指名され、6月10日に契約。ルーキー級アリゾナリーグ・カブスで39試合に出場。捕手のほかに一塁手や三塁手としてもプレーし、2本塁打18打点、打率.262だった。8月にA級ピオリア・チーフスへ昇格し、9試合に出場した。 から投手に転向。ルーキー級アリゾナリーグで11試合に登板し、1勝0敗2セーブ、防御率1.80だった。8月にA-級ボイシ・ホークスへ昇格。8試合に登板し、1勝0敗、防御率3.18だった。 はA級ピオリアで23試合に登板し、3勝0敗3セーブ、防御率1.33と好投。6月にAAA級アイオワ・カブスへ昇格。2試合に登板したが、防御率6.00と結果を残せず、7月にA+級デイトナ・カブスへ降格した。A+級では20試合に登板し、1勝2敗9セーブ、防御率3.38だった。 はAA級テネシー・スモーキーズで10試合に登板し、0勝0敗3セーブ、防御率1.46だった。5月にAAA級アイオワへ昇格。45試合に登板し、2勝3敗22セーブ、防御率3.00だった。オフの11月20日にカブスとメジャー契約を結び、40人枠入りした。 3月19日にAAA級アイオワへ異動した。AAA級では35試合に登板し、1勝4敗2セーブ、防御率4.74だった。5月にAA級テネシーへ降格。13試合に登板し、0勝1敗5セーブ、防御率2.65だった。オフの10月14日に40人枠を外れ、AAA級アイオワへ降格した。 はAA級テネシーで16試合に登板し、1勝2敗3セーブ、防御率4.12だった。5月にAAA級アイオワへ昇格。37試合に登板し、3勝3敗4セーブ、防御率2.81だった。 はAAA級アイオワで開幕を迎え、5月17日にカブスとメジャー契約を結んだ。同日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。7回表から登板し、1回を投げ2安打3失点(自責点0)だった。4試合に登板していたが、6月6日に右肘の故障で60日間の故障者リスト入りした。8月28日に復帰し、3試合に登板したが、9月7日に再び右肘の故障で60日間の故障者リスト入りした。オフの10月26日に故障者リストから外れたが、同日に40人枠を外れ、AAA級アイオワへ降格した。11月28日にカブスとマイナー契約で再契約した。 はAAA級アイオワで開幕を迎え、16試合に登板。0勝1敗7セーブ、防御率2.04だった。6月1日にラファエル・ドリスが故障者リスト入りしたため、再びカブスとメジャー契約を結んだ。その後はリリーフに定着し、49試合に登板。1勝2敗1セーブ、防御率2.72だった。 3月22日にAAA級アイオワへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。4月13日にメジャーへ昇格。2試合に登板したが、いずれの試合も失点するなど結果を残せず、4月24日にAAA級へ降格。5月27日にウェズリー・ライトが父親産休リスト入りしたため、メジャーへ昇格。1試合に登板したが、5月29日にライトが復帰したため、AAA級へ降格した。7月6日に再昇格。2試合に登板したが、7月11日にダーウィン・バーニーが父親産休リストから復帰したため、AAA級へ降格。7月26日に再昇格し、2試合に登板したが、7月30日にAAA級へ降格した。8月1日にフェリックス・ドゥブロンが加入したが、同日に故障者リスト入りしたためメジャーへ昇格。2試合に登板したが、8月2日のロサンゼルス・ドジャース戦で延長12回にハンリー・ラミレスから3点本塁打を打たれ、サヨナラ負けを喫したため、8月5日にAAA級へ降格した。8月21日に再昇格したが、翌22日にAAA級アイオワに降格した。9月1日にセプテンバー・コールアップで再昇格し、シーズンを終えた。 5月6日に自由契約となり、15日にマイナー契約で再契約し、AAA級アイオワに配属されそのままシーズンを終了した。11月6日にFAとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレイク・パーカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|