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ブレスケンス号事件[ぶれすけんすごうじけん] ブレスケンス号事件とは、1643年(寛永20年)にオランダ船ブレスケンス号(Breskens、全長33m、幅7mの武装ヤハト船〔Names of Ships in the VOC between 1595 and 1650 〕〔ヤハトは現在のヨットの語源だが、東インド会社では3本マストの快速船をヤハトと呼んだ。当時東インド会社が使用していた船種は他に重武装のスヒップ(英語のシップ、3本マストの大型船)と貨物輸送に特化した軽武装のフリュートがあった。〕)の乗組員が盛岡藩領に上陸し、捕縛された事件。乗組員らはしばらく後に釈放されたが、その後のオランダの対応に対して幕府が満足せず、完全に解決を見たのは1650年(慶安3年)になってからであった。 == 金銀島 == 古来よりヨーロッパでは、金銀を豊富に産する「金島」・「銀島」の伝説があった。1635年(寛永12年)、平戸のオランダ商館の職員であったウィレム・フルステーヘン(後商館長)は、オランダ領東インド総督のアントニオ・ヴァン・ディーメンに宛て、日本近海の北緯37度付近に金銀島があると聞いたと報告している。この金銀島の報告に基づき、後に2回の探検隊が派遣さることとなった。最初の探検は、1639年(寛永16年)にマチス・クアスト(Matthijs Quast)によってなされたが、当然ながら金銀島は発見されなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレスケンス号事件」の詳細全文を読む
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