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ブレット・ブーン(Bret Robert Boone, 1969年4月6日 - )は、MLBシアトル・マリナーズなどで活躍した野球選手である。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。右投右打の内野手(二塁手)として活躍した。祖父のレイ・ブーン、父のボブ・ブーン、弟のアーロン・ブーンも元メジャーリーガー。 == 略歴 == 高校卒業時の1987年、ミネソタ・ツインズからドラフト28巡目で指名されるが契約せず、南カリフォルニア大学に進学。大学時代に日米大学野球選手権に出場し、のちにチームメイトとなる佐々木主浩とこの時に対戦したことがある(その模様はかつてセーフコ・フィールドで映像で流されたことがあった)。 1990年、シアトル・マリナーズからドラフト5巡目で指名され入団。1992年8月19日にメジャーデビューし、サードとして6試合に出場している。1994年から1998年までシンシナティ・レッズ。1999年はアトランタ・ブレーブス。2000年はサンディエゴ・パドレスに在籍した。 2001年、シアトル・マリナーズに復帰。ブーンはこの年主に5番打者としてキャリアハイの141打点を挙げ打点王を獲得。その他、打率.331、206安打、37本塁打、5三塁打、118得点もキャリアハイを記録。地区優勝とシーズン116勝のメジャータイ記録樹立に大きく貢献した。マリナーズでイチローが1番に定着したことも、直球系を得意とするブーンの打撃にプラスに作用したと言われている。MVPの投票ではイチロー、ジェイソン・ジアンビに次ぐ3位だった。同年のオールスターではアリーグの4番にも大抜擢されている。 2005年は打率.231と不調で、7月11日にミネソタ・ツインズにトレードされたが、わずか14試合に出場後の8月1日に解雇された。翌2006年1月にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び春季キャンプに招待されたが、野球に対する情熱がなくなったとしてキャンプ参加数日後に引退を発表した。この件について、ブーン自身は後日、引退の理由をアルコール使用障害によるものだったとメディアに明かしている。〔ワシントン・ナショナルズ公式サイト 2008年2月25日付記事より 〕 約2年間の治療とリハビリを終えた後、ブーンは2月18日に現役復帰を目指し、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。父親のボブはGM補佐として、弟のアーロンは現役選手として既に在籍しておりナショナルズに3者が揃うこととなった。しかし、5月28日に2度目の引退を表明した。 ホセ・カンセコは、ステロイド使用に関する自著の中で、イバン・ロドリゲスやマーク・マグワイアらと並んで、ブーンがステロイドをキャリアを通じて使用していたと名指ししている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレット・ブーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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