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ブレトン・ウッズ(Bretton Woods)は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州北部、コーアス郡に位置する町、キャロル(Carroll)の一地区。またキャロルの旧町名。ホワイト山地の山々に囲まれ、州の最高峰であるワシントン山の麓に位置している。人口はキャロル町全体でも663人(2000年国勢調査)。ブレトン・ウッズの周辺にはほとんど人家はなく、マウント・ワシントン・ホテルとワシントン山登山鉄道のほかにはほとんど人工物のない一面の原野が広がっている。 ブレトン・ウッズはリゾート地として知られており、冬にはアルペンスキー・クロスカントリースキーの両方が盛んである。一方、夏にはワシントン山のハイキングの基地となり、マウント・ワシントン・ホテルでのゴルフ客でも賑わう。 しかし、ブレトン・ウッズの名を世界に知らしめているのはやはりこの地で締結されたブレトン・ウッズ協定である。1944年に開かれた国際通貨金融会議によって国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)が設立され、これらの組織と米ドル中心の固定為替相場制を軸とした、いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」が生まれた。このブレトン・ウッズ体制は、1971年のニクソン・ショックで崩壊するまで、四半世紀に亘って第二次世界大戦後の世界経済を支えた。 ==歴史== ニューハンプシャー植民地の北部、ホワイト山中のこの地にブレトン・ウッズが創設されたのは1772年のことである。入植地の名は時のニューハンプシャー総督、ジョン・ウェントワース(John Wentworth)の私邸であったブレトン・ホール(Bretton Hall)にちなんでつけられた。ほどなくして独立戦争が開戦、ニューハンプシャーを含む13州植民地は勝利を収め、1788年にはニューハンプシャーがアメリカ合衆国の9番目の州になった。1832年、ブレトン・ウッズはアメリカ独立宣言の署名者の1人であるチャールズ・キャロル(Charles Carroll)にちなんでキャロルと改名された。しかしブレトン・ウッズの名はキャロル町域内の地域名として残った。1882年にはキャロルは正式な町になった。 1944年7月、ブレトン・ウッズのマウント・ワシントン・ホテルで国際通貨金融会議が開かれた。この会議は1929年の世界大恐慌後に列強がブロック経済圏をつくる一方、保護貿易からはじき出された国をファシズムに走らせ、第二次世界大戦を招いた反省に基づいて行なわれた。この会議の狙いは国際的協力による通貨の安定、貿易の振興、発展途上国の成長であった。その結果、この地でブレトン・ウッズ協定が結ばれ、国際通貨基金と国際復興開発銀行(世界銀行)が設立された。また、これら2機関と米ドルを兌換通貨とする固定為替相場制を軸とした「ブレトン・ウッズ体制」が確立された。 このブレトン・ウッズ体制はその後四半世紀に渡って世界経済を支え、各国に経済成長をもたらした。しかしベトナム戦争や膨れ上がる経常赤字によってアメリカ経済が疲弊する中、1971年、当時の大統領リチャード・ニクソンが米ドルと金との交換を停止(いわゆるニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制は崩壊した。1973年には、米ドルは変動相場制に移行した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレトン・ウッズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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