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ブロンベルク罷免事件[ぶろんべるくひめんじけん]
ブロンベルク罷免事件(ブロンベルクひめんじけん、)とは、1938年に起きた、ドイツ国防軍幹部の更迭事件。国防相であるヴェルナー・フォン・ブロンベルク陸軍元帥と、陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将に関するスキャンダルが相次いで発生し、両者が罷免された。冒険的な外交政策に反対する陸軍の上層部を一掃する目的による、ナチスの謀略事件であるとされる。 == 背景 == ナチス政権が成立した後も、国防軍将校団には独立自尊の風が強く、アドルフ・ヒトラーは軍を完全には掌握できなかった。また、ワイマール共和国時代からの慣習により、陸海軍の統帥権は国防相から各総司令官に委任するという形式が取られていたため、特に陸軍の独立傾向は強かった。当時の陸軍総司令官フリッチュは典型的なプロイセン軍人であり、将校団の信頼も厚く、時にはヒトラーをも遠慮無く批判した。 一方ブロンベルクはヒトラー内閣成立以前からナチスに協力的であり、将校団には、「ゴムのライオン(見掛け倒し)」と揶揄されていた。ヒトラーはブロンベルクを通じての軍の支配を思いつき、まず指揮権を国防相に返還させようとした。しかしフリッチュと参謀総長ベックの抵抗により失敗に終わった。 1937年、ヒトラーは国防軍上層部と外相ノイラートを含めた秘密会談で、近い将来における、チェコスロバキアとオーストリアへの攻撃計画を発表した。ブロンベルクとフリッチュはヒトラーの情勢分析を批判し、イギリスとフランスを敵に回す可能性を指摘、軍の体制が整っていないと主張、計画に同意しなかった。この会議でフリッチュに圧力を掛け、国防軍を掌握する意図がヒトラーにはあったが、ブロンベルクも反対したことで、失敗に終わる。(ホスバッハ覚書)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブロンベルク罷免事件」の詳細全文を読む
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