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プスコフ公()はプスコフ公国(プスコフ共和国)の公の称号(クニャージ)である。 プスコフ公国の初代の公はウラジーミル1世の子のスディスラフである。プスコフ公国では民会の力が強く、公の権限は他のルーシの諸公国に比べわずかなものだった。キエフ大公国の滅亡の後、プスコフ公国はノヴゴロド公国に属していたが、1348年にノヴゴロド公国はプスコフ公国の独立を認めた。一方、プスコフ公国はモスクワ大公国へ接近し、モスクワ大公による公の任免権を承認した。1399年からのプスコフ公はモスクワのナメストニク(モスコフスキー・ナメストニク)と呼ばれる。1510年にモスクワ大公のヴァシーリー3世はプスコフ公国の併合を宣言し、モスクワ大公国の一部となった。 (留意事項) *各人物は、文献によっては「~世」・「~公」等の数えや通称の併記、あるいは洗礼名での表記などにより、異なる表記がなされている可能性がある。 *各人物は、他の称号の元で異なる数えがなされる可能性がある。(例:ムスチスラフ・ロマノヴィチはプスコフ公としては2人目のムスチスラフであるが、キエフ大公としては「ムスチスラフ3世」となる。) 各人物の詳細は各頁を参照。 ==プスコフ公の一覧== ===プスコフ公=== *スディスラフ・ウラジミロヴィチ(ru)(在位:1014年 - 1036年) *フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1137年 - 1138年) *スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ(在位:1138年 - 1148年) *ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ(在位:1178年 - 1180年) *ムスチスラフ・ロマノヴィチ(在位:1180年 - 1195年) *ウラジーミル・ムスチスラヴィチ(ru)(在位:1195年 - 1211年) *ウラジーミル・ムスチスラヴィチ(在位:1213年 - 1213年):再任 *フセヴォロド・ボリソヴィチ(ru)(在位:1213年 - 1214年) *ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1214年) *フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1214年) *ウラジーミル・ムスチスラヴィチ(在位:1214年 - 1222年):再任 *ユーリー・ムスチスラヴィチ〔〕(在位:1232年 - 1240年) *ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1240年 - 1242年):再任 *ヤロスラフ・ヤロスラヴィチ(在位:1253年 - 1256年) *スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ(ru)(在位:1256年 - 1266年) *ダウマンタス(在位:1266年 - 1299年) *ダヴィド(ru)(在位:1299年) *フョードル・ミハイロヴィチ(ru)(在位:1307年) *アレクサンドル・ミハイロヴィチ(在位:1327年 - 1330年) *ダヴィド(在位:1323年) :再任 *アレクサンドル・ミハイロヴィチ(在位:1331年 - 1337年):再任 *フセヴォロド・アレクサンドロヴィチ(ru)(在位:1337年 - 1339年、 - 1341年) *アレクサンドル・フセフォロドヴィチ(ru)(在位:1341年) *アンドリュス・アルギルダイティス(在位:1342年 - 1349年) *エヴスタフィー・フョードロヴィチ(在位:1349年 - 1356年) *ヴァシーリー・ブディヴォルナ(在位:1356年 - 1358年) *エヴスタフィー・フョードロヴィチ(在位:1358年 - 1360年):再任 *アレクサンドル(ボリス)(ru)(在位:1360年頃 - 1369年頃) *マトヴェイ(在位:1375年以前 - 1377年) *アンドリュス・アルギルダイティス(在位:1377年 - 1386年):再任 *イヴァン・アンドレエヴィチ(在位:1386年 - 1394年) *アンドリュス・アルギルダイティス(在位:1394年 - 1399年):再々任 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プスコフ公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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