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プトレマイオス2世 : ウィキペディア日本語版
プトレマイオス2世[ぷとれまいおす2せい]

プトレマイオス2世ピラデルポス(、、紀元前308年 - 紀元前246年、在位:紀元前288年 - 紀元前246年)は、プトレマイオス朝エジプトのファラオである。同母姉であり妻でもあるアルシノエ2世との強い結びつきのため、「兄弟(姉弟)愛」という意味のピラデルポス〔「フィラデルフォス」と表記されることもある。地名のフィラデルフィアと同じ語源である。〕という異名を持つ。ヘブライ人の経典を公用語のギリシア語に翻訳させた人物であり、その翻訳は70人訳聖書と呼ばれ、現存する最古の旧約聖書の原版となった。

== 生涯 ==
プトレマイオス朝の創始者プトレマイオス1世とその2番目の王妃ベレニケ1世の息子で、CosのPhilitasによって教育を受けた。彼には二人の異母兄弟(父の先妻の子)プトレマイオス・ケラウノスメレアグロスがおり、ともにマケドニア王となったが短期間の支配に終わった。最初の妻はトラキアリュシマコスの娘アルシノエ1世で、間に息子のプトレマイオス3世エウエルゲテスと、娘のベレニケ・フェルノフォラス(en) の3人の子をもうけた。アルシノエ1世との離婚後、彼は王妃アルシノエ1世の父リュシマコス王の未亡人となっていた同母姉のアルシノエ2世と再婚した。
プトレマイオス2世は、紀元前288年から父と共同統治を始め、父が死んだ紀元前285年から単独統治となる。プトレマイオス2世は、積極的な外征でエーゲ海の諸島を回復、また二度の(第一次シリア戦争第二次シリア戦争)により領土を拡大し、更にアフリカアラビアへの隊商路を確保した。さらにファイユームの地をギリシア軍の植民地として開発するに成功し、これをアルシノエ県と称した。内政面では宰相アポロニオスにより、ギリシア人を支配階層とする官僚的中央集権国家の生産独占組織と強力な統制経済機構を布き、国富は王朝の歴史を通じ最大となった。文化面でも父の遺業を継ぎ、学士院と附属図書館に多数の学者、文人を招聘しアレクサンドリア文学の黄金時代を現出した。
姉のアルシノエ2世は、最初は王妃アルシノエ1世の父リュシマコス王の妃となり、その死後、異母兄弟のプトレマイオス・ケラウノスと再婚したものの、その2番目の夫と対立して母国エジプトへ逃れてきた。帰国したアルシノエ2世は謀略によってアルシノエ1世を弟と離婚させたうえ南方へ追放させ、代わって自らが弟の妃となった。プトレマイオス3世らアルシノエ1世の子供たちはアルシノエ2世が養育した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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