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プファッフェンホーフェンの戦い : ウィキペディア日本語版 | プファッフェンホーフェンの戦い[ぷふぁっふぇんほーふぇんのたたかい]
プファッフェンホーフェンの戦い(プファッフェンホーフェンのたたかい、)は、1745年4月15日に行われたオーストリア継承戦争における戦闘である。オーストリア軍と、フランス軍とプファルツ軍の連合軍が戦い、オーストリア軍が勝利した。 == 背景 == 1744年冬、第二次シュレージエン戦争が始まってオーストリア軍が東のベーメン、シュレージエンに移ったことからバイエルンは自領を回復し、皇帝カール7世もミュンヘンに戻ることができた。ところがプロイセンがオーストリアに敗北してシュレージエンに後退したことにより、すぐにまたオーストリア軍の侵攻を受けなければならなかった。 そんな中、かねてより健康を損ねていたカール7世が45年1月20日に死去し、まだ17歳のマクシミリアン・ヨーゼフが選帝侯位を継いだ。若すぎる彼の即位は苦しいバイエルンの戦争継続をさらに困難なものにしたが、オーストリアと和平を結ぶか、徹底抗戦するかで重臣たちは二手に分かれて争い、マクシミリアン・ヨーゼフも決断を下せなかった。 オーストリアのマリア・テレジアは、バイエルンを早期に屈服させる目的でバイエルンに対して冬の間から圧迫を強めていた。そして否応なく和平を受け入れさせるべく、自軍にミュンヘンへの進軍を命じた。バイエルンには援軍は、セギュールのフランス軍と、フランクフルト同盟によって派遣されてきたプファルツとヘッセン=カッセルのそれぞれ若干の部隊しかおらず、劣勢は覆せなかった。
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