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プラハ文化[ぷらはぶんか]
プラハ文化(英語:''Prague culture''、ないしプラハ・コルチャク文化 ''Prague-Korchak culture'')は5世紀から7世紀まで続いたプラハ・ペンコフ・コロチン文化複合のうちの北西群文化。このため中世前期のスラヴ語派の文化のひとつと推定される。 ==地理== 東はヴィスワ川(のち大きく東方へ展開)から西はエルベ川を渡ってその西岸にまでまたがっていた。プシェヴォルスク文化を地方的な基層とし、主にチェルニャコヴォ文化やキエフ文化の影響を受けて発展した文化で、もとはポーランド、チェコ、スロバキア、ドイツ東部、ウクライナ西部から始まり、ルーマニア、ハンガリー、ウクライナ、ベラルーシの各方面へ拡大して、広い範囲を占めるようになった。 ズデーテン山地との稜線を挟んで、おおまかに南側を「プラハ文化」、北側を「コルチャク文化」とすることもある。この場合、南と北とでは文化的にこれといった相違点はないが、すでに政治的には互いに異なる状況であったものと見られている。6世紀半ばになると、それまで地中海地方でヴァンダル王国を築くなど遠方に行っていたヴァンダル族の人々が彼らの故地でかつコルチャク文化の西部地方にあたるポーランドへ続々と帰還している。のちの時代、11世紀のブレーメンの歴史家アダムは、11世紀当時のスラーヴィア地方はゲルマニア最大の地域でヴィンニル人(正式名ヴァンダル族)が支配しており、ヴィンニル人はボヘミア族(チェコ人)とポラン族(ポーランド人)の2部族から成っていて、両部族の風習や言語はまったく同じだと記している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プラハ文化」の詳細全文を読む
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