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プリティー・レックレス : ウィキペディア日本語版
プリティー・レックレス

プリティー・レックレス(''The Pretty Reckless'')は、アメリカ合衆国ニューヨークで結成されたオルタナティヴ・ロックバンドである。アメリカの女優・モデルのテイラー・モンセンがボーカル及びリーダー、ギターはベン・フィリップス、ベースはマーク・ダモン、ドラムはジェイミ・パーキンスがそれぞれ担当する。当初は同年代の少年らと「レックレス」として活動していたが、かなり初期の段階で商標問題から「プリティー・レックレス」に改名した〔The Pretty Reckless Network 〕。
2010年5月13日に発売のデビュー・シングル「メイク・ミー・ワナ・ダイ」が、イギリス・ロック・チャートで1位を獲得し、批評家から肯定的な評価を得た。同年8月31日、アルバム『ライト・ミー・アップ』でメジャーデビューをする。
== 歴史 ==

=== 『プリティー・レックレス』と『ライト・ミー・アップ』:2008年 - 現在===

2008年10月、モムセンは音楽プロデューサーのケイトー・カンドゥワラとソングライターのベン・フィリップスと会った。後に、楽曲製作に協力してくれていたバンド「フェイマス」のメンバー、ベンとマークとジェイミーを「もう一つバンド作らない?」と引き抜く形で現在のプリティー・レックレスになった。
彼女は、2009年にジョン・セコロ、マット・チャレラ、ニック・カルボーネとバンドを結成し、上半期にはいくつかのデモをレコーディングした。ザ・ヴェロニカズの北米ツアーに同行していたが、モムセンはメンバーと音楽性の違いを感じたのと新しいバンドを結成することになり、2010年6月4日付けで初期のバンドメンバーを解雇した。初期のバンドと比較して、プリティー・レックレスはよりダークなスタイルである。
2009年、モムセンは雑誌『OK!』のインタビューにおいて、バンドがインタースコープ・レコードを契約し、2010年にアルバムを発表することを明かした。バンドはインタスコープとの契約を発表した後、新たにレコーディングしたデモ曲「ヒー・ラブズ・ユー」「ゾンビ」を彼らのMySpaceに公開した。
モムセンは別のインタビューで、バンドのサウンドについて言及した。それは「人々が期待しそうにないもの」であり、暗くて重いサウンドを特徴とするが、「より軽い、楽しいもの」だと述べた。MTVのインタビューにおいて、バンドビートルズオアシスオーディオスレイヴサウンドガーデンニルヴァーナといったグランジに、モムセン個人はジョーン・ジェットや、デボラ・ハリーカート・コバーンコートニー・ラブシェリー・カーリーに影響を受けているという。
2009年12月30日に楽曲「メイク・ミー・ワナ・ダイ」を、インタスコープの彼らの公式ホームページ上で期間限定でファン向けに無料配信され、翌2010年8月に発売されるアルバムへの先行シングルとして、5月17日にデビュー・シングルとして発売された〔The Guardian article on the band 〕。公開の映画『Kick-Ass』のサウンドトラックとして起用された。この年の4月9日にヴァンズ・ワープド・ツアー、翌月1日にはバンブーズル・ミュージック・フェスティバルに参加した〔。
2010年6月22日、アルバムに向けての1枚目のEP『プリティー・レックレス』が発売された。大多数の批評家は歌詞とプロデュースを称賛したが、音楽雑誌『ローリング・ストーン』はサウンドを「ジェネリック」〔Rolling Stone review 〕と分類した。EPに収録された「メイク・ミー・ワナ・ダイ」「ゾンビ」「マイ・メディシン」「ゴーイン・ダウン」はデビューアルバムにも収録されている。最初のシングル「メイク・ミー・ワナ・ダイ」は2010年5月17日に発売され、イギリス・ロック・チャートで6週間連続1位を獲得した。バンドはMySpaceで、デビュー・アルバムの題名が『ライト・ミー・アップ』に決定した事とアルバムに収録される楽曲名を公開した。アルバムはカンドゥワラがプロデュースし、全ての楽曲はフィリップスが手がける。アルバムは2010年8月30日にイギリス、翌31日に全世界で発売される。
2010年8月9日、デジタル・スパイが2枚目のシングルとして「ミス・ナッシング」が発表されると公表した。それは同年7月22日にイギリスのラジオ局BBCラジオ1で排他的に放送された。バンドはヴァンズ・ワープド・ツアーのパフォーマンスの後、それが次のイギリスのシングルとして発売されることを明かした。同年7月22日、VEVOで同曲のミュージックビデオが初公開された。
1stアルバムとLPのMiss nothing ツアーを2011年、2ndアルバムを引っ提げてのGoing To Hell ツアーを2014年から行った。
2014年、音楽性の違いにより、インタースコープ・レコードから、タイ&バーレル・レコードに移籍。それにともない、日本のレコード会社もビクターエンタテインメントに移籍。自主レーベルGoin' Down inc.を設立。2014年3月12日、セカンドアルバムGoing To Hell をリリース。iTunes限定で、Only Youをリリース。
2014年ゴールデン・ゴッズ・アワードで三曲を演奏し、モムセンが女性ロッカーのジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツとZZ Topのギタリスト、ビリー・ギボンズと共演。
2014年9月ビクターからのニュース。最新シングルMessed Up Worldが全米ロック・ラジオ・チャートで見事1位にランクイン。前シングルHeaven Knowsも同チャートで1位
を獲得したためこれが全米チャート二曲目のナンバーワン。長いアメリカの音楽史において、「女性ボーカルを擁し、全米ロック・ラジオ・チャートに二曲送り込んだロック・バンド」は、80年代から活躍し続け、2005年にロックの殿堂入りを果たした伝説的バンドプリテンダーズのみ。つまり、今回の首位獲得は、アメリカ音楽史上二組目の快挙という歴史的偉業。
2015年、2月14日から3月15日までニッケルバックのツアーにサポート入りする。海外ファンからはかなりの不評。4月から6月はHalestormに、5月はRock in Rioのサポートを務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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