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プリンスエドワードアイランド州の地方行政区の一覧。 カナダのプリンスエドワードアイランド州では、行政区画は郡(county)及びその傘下に市町村(municipality)が設定されており、また歴史的には小教区(parish)、タウンシップ(township)の順に区画が決定され、それが国勢調査区分に反映されている。 ==歴史== イギリスは1763年のパリ条約締結後、フランスの撤退に伴ってアカディア人の撤退した土地にイギリス系の植民を開始した。1764年にイギリスは、当時まだセントジョンズ島(St. John's Island、アカディア時代にはサン・ジャン島)と呼ばれていたこの島の地勢調査を開始し、1766年に完了。調査の主目的はパリ条約に基づき最小限の費用で植民事業を行なうことであった。欧州での慣習に倣い、土地を分割し定住者に定期借地権を提供する制度が提案された。 まず3つの郡(プリンス郡、クイーンズ郡、キングス郡)で合計50万エーカー(2,000km²)の土地が調査され、それぞれの郡に郡庁所在地(royaltyまたはshire townと呼ばれた)を置く。それぞれの郡は、さらに10万エーカー(400km²)ずつの小教区(parish、イングランド国教会での用語)5つに分割(キングス郡は小さかったため4つに分割)。さらに小教区は約2万エーカー(80km²)ずつのタウンシップ(township, またはロット lot)に分割された。 それぞれのタウンシップ(またはロット)は定住条件(財政的に独立していること、島までの移動費用は個人負担、土地は定住者が必ず農地へ転換すること、数年で完済することになる毎年の借地料の支払い)を満たす個人に分譲された。定住希望者が殺到したため、イギリス政府は抽選(67人中64人が当選する)を導入した。 1798年にはセントジョンズ島からプリンスエドワード島に改称され、その後、土地の所有者(その多くが非居住)と店子(その多くが比較的貧困な農民)の間で多くの論争、対立が起きた。1873年のカナダ連邦樹立(confederation)の際に、プリンスエドワードアイランド政府が土地所有の権利を元の所有者から買収するための財政補助を条件に含み、それにより19世紀で土地紛争は解決した。 現在、タウンシップ(ロット)は行政区画ではないが、国勢調査区分として地図上には記載されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プリンスエドワードアイランド州の地方行政区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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