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プリンスロイヤル : ウィキペディア日本語版
日産・プリンスロイヤル[にっさんぷりんすろいやる]

プリンスロイヤル(''Prince Royal'' )は、日産自動車に吸収合併される以前の旧・プリンス自動車工業が開発し、1967年から1972年にかけて日産自動車が製造した御料車
日本では数例しか新造例がないリムジンでもある。開発コードS390、型式A70型。
== 概要 ==
日本の皇室1912年馬車に代えて御料車に自動車を初採用したが、以来、第二次世界大戦前後を通じて、デイムラーロールス・ロイスメルセデス・ベンツキャデラックなど、一貫して欧州米国メーカーの実績ある大型高級車を輸入し、その用に充ててきた。日本の自動車産業は1950年代に至るまで世界水準から大きく立ち後れており、十分な性能を備えた大型高級車を製造することができなかったからである。1930年代以降、御料車車体の部分改造程度は日本の特装ボディメーカーでも施工できるようになったが(1932年以降の御料車であるメルセデス・ベンツ770の一部は、日本国内工場で車体の再改造を受けている)、本体たる高級乗用車シャーシそのものの製造は、長らく輸入に頼っていた。
1960年代当時成長期にあり、技術水準の向上が著しかった日本の自動車工業界では、御料車を純日本製(日本車)でまかなうことが悲願とされた。同様の構想は政府レベルでも持ち合わせており、宮内庁自動車工業会(当時)へリムジンの開発を依頼した。
開発メーカー選定にあたっては、当時の皇太子明仁親王の自動車趣味が間接的に影響したとされる。明仁親王は自ら乗用車のステアリングを握るドライブ愛好者であり、1954年プリンス自動車初のガソリン乗用車であるプリンス・セダンの献上を受けて以来、スカイライン(初代 ALSI型)グロリア(2代目 S40型)などプリンス車を長く愛用していた。
宮内庁への公用車納入実績も多く、プリンス自動車の会長でありタイヤメーカーのブリヂストンの創業者でもあった石橋正二郎自ら、皇室へのアプローチには古くから積極的であったことにより、これらの実績や技術面での評価も伴って、プリンス自動車が1965年より開発を担当することとなった。ただし、完成・納入時に同社が日産自動車に吸収合併された後であったため、車名は「日産・プリンスロイヤル」となった。
開発にあたり、当時の技術の粋を集め、メーカーの枠を超えた協力体制でほぼ日本のみの技術で完成させたが、開発を担当したプリンス自動車は元々技術陣については少数精鋭主義であり、他のメーカーに比べると常に人手不足がちであった。折しも当時、桜井眞一郎ら乗用車開発チームが一般市販車種の開発で多忙であったため、御料車開発については、普段はトラックなどの商用車に携わっているチームが特命を受けた。
とはいえ、商用車チームのスキルは、乗用車チームに劣らなかった。プリンスは先進技術採用への積極性と並んで、商用車シャーシの耐久性の高さでも市場に定評があり、ことに重量過大必至となるリムジンシャーシ設計では、商用車技術の経験が活かされた。実際、開発途上で常に問題となったのは、車全体の随所でたびたび補強を強いられることにより、当初想定より車重が増え続けたことへの対処であったという。開発陣は宮内庁とも協議を重ねつつ、比較的短い期間で少数生産用のリムジン設計を完成させている。
開発中にプリンス自動車が日産自動車に吸収合併され、第1号車の納入は吸収合併後になったが、日産自動車では、元々受注したプリンス自動車の立場を尊重して「日産・プリンスロイヤル」の車名が与えられた。一般向け販売はされず、最終的に7台のみが製造納品された。宮内庁と外務省日本万国博覧会開催時に、国賓送迎用として2台が納入された。内1台は1978年に宮内庁に移管)が管理している。1980年11月から翌年3月にかけて1台が寝台車対応のワゴンタイプに改造された。
昭和天皇今上天皇の2代にわたって御料車としての任を果たしてきた。長らく日本製乗用車の最高級的存在であるが、製造後40年近くが経過し、部品交換による維持も難しく、老朽化や所々の腐食が懸念される事態となったことから、製造元の日産自動車は2004年2月、徐々に使用停止することを宮内庁へ要請。その後、宮内庁は2005年に後継としてトヨタ自動車よりセンチュリーロイヤル納入が提案されたため、段階的にプリンスロイヤルの使用を止めることを発表した。
現在は東京都立川市にある昭和天皇記念館に1台が保存されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日産・プリンスロイヤル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nissan Prince Royal 」があります。



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