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プリンセス・マサコ : ウィキペディア日本語版
プリンセス・マサコ

プリンセス・マサコ -菊の玉座の囚われ人』 (プリンセス・マサコ きくのぎょくざのとらわれびと、)とは、オーストラリアジャーナリストベン・ヒルズ(Ben Hills)〔東京に3年間特派員として駐在した経験がある。〕が、2006年に発表したノンフィクション書籍である。ランダムハウス・オーストラリアから出版された〔日本語完訳書中表紙裏クレジット。〕。
皇太子徳仁親王妃雅子を題材に「3年余、60人に及ぶ取材で得た証言をもとに、彼女の苦悩と生い立ちを描いた」、宮内庁日本社会の批判を主題とした作品である。日本では当初の翻訳書発売が批判対象となった宮内庁と、外務省からの抗議に遭い、出版社の講談社が出版中止し、第三書館が講談社側が削除した記述を復活させた完訳版を発売した。日本の新聞・雑誌なども政府に追従して日本語訳宣伝広告の掲載を拒否し、このような経緯は日本政府による検閲とされて批判された〔。
== 内容 ==
日本語訳者の藤田真利子によれば、本書は事実と推測と意見を書き、噂は噂であることが分かるように記述されている。また日本語版は、ヒルズ自身の手で訂正を加えた原書第二版を元に翻訳された。〔この段落の出典。訳者あとがき。〕
皇太子と雅子の結婚当日の朝、「黒衣の男たち」(宮内庁職員)に迎えられて雅子が実家を出る場面にヒルズが受けた暗い印象から始まり、イギリス王室の結婚式と比較し、賢所での厳かで興味深い結婚の儀式が公開されない閉鎖性を不満を込めて説明する。また外国生活の長かった雅子に対し、宮内庁が「日本人的」でないと批判し、親族が水俣病原因企業関係者であることを建前にして反対したり(5章)、旧宮家華族学習院OG会組織による、二代続けて庶民から皇太子妃を選んだことを恨んだ反雅子キャンペーンなどがあったと説明する(1章)。
続いて、夫妻それぞれのルーツが語られ、雅子妃の海外と日本を巡った少女時代から外務省入りし、お妃候補になるも固辞してトップレベルの外交会談で通訳を務める頃までの軌跡(2・6章)、父・小和田恆の優秀な家系やその人物像を紹介する(2章)。また明治天皇から皇太子徳仁親王の父・今上天皇に至るまでの皇室の家庭事情、皇太子がなかなか妻を見つけられない事情を説明する(3章 - 6章)。
皇太子は雅子を忘れられず再び結婚を申し込む。父・恆も固辞したものの、外務省の威信を高めたいと考える官僚たちの強い説得に押され、最終的には娘自身に判断を任せる。雅子は外務省で女性がキャリアを築く難しさや皇太子側の熱意などにより結婚を決意する。併せて、宮内記者会が宮内庁の意向の言いなりで、嶋中事件などの影響でヤクザをバックに持つ右翼団体の脅威に怯え、皇室記事に対する自己検閲を行うことが説明される(6章)。
二人は仲睦まじい夫婦となったが、宮内庁は雅子妃に公式な発言を控えさせ、彼女と友人たちとの個人的な接触にいい顔をせず、結婚後の3年間で実家の家族と会ったのは5回のみである。公務は多忙だが欧米王室と違い毒にも薬にもならないもので慈善活動に深く関わることは禁じられる。また約束されたはずの皇室外交は、天皇・皇后が皇太子時代37か国を訪問していたのに比べ、5年間に2回のみだった。これは宮内庁長官だった湯浅利夫が後に認めたように、彼らに「お世継ぎ」が誕生しないために、宮内庁側が加えた制限である。(7章)
天皇・皇族の生活は職員らが制限し、天皇の望みですらほとんど聞き入れない。さらに戦後、皇室は財産を失い、ビジネスも禁じられ税金に依存する生活を送らざるを得ず、またそのために非難を受ける。一方で職員は多すぎリストラが必要との指摘を受けている。さらに皇位継承については、女性天皇が認められず男性皇族が減って高齢化し、消滅が予想される危機を抱えている。レズリー・ダウナーは、皇太子夫妻が天皇夫妻から、毎月生理があったかどうかを尋ねられるという記事を書いた。ヒルズは産婦人科医の発言を引き、夫妻の不妊の原因は年齢的なことと共に使用人らの詮索やマスコミ、皇室グルーピーの追跡が生むストレスであると指摘する。(7 - 8章)
6年後雅子妃は一度妊娠するが流産し、宮内庁はようやく治療の専門家を手配した。これほどまでに治療開始に時間がかかったのは、雅子妃の宮内庁医師への不信とも伝えられるが、それ以前に不妊治療を恥とみなす世界的にみて遅れた日本の状況がある。皇太子側の男性不妊症の可能性も外国報道された。体外受精のエキスパートである担当の医師は成功に自信があると語ったが、その姿勢は旧弊な宮内庁の反感を受けた。治療は成功し、2001年12月敬宮愛子内親王が誕生する。(7 - 8章)
しかし彼女が男子でなかったために、海外訪問の制限は続き、担当医師が辞任、湯浅は会見で公然と「もう一人」を要求する無神経な言動をする。雅子妃は帯状疱疹による静養に入ったが、やがてそれは長期になり、明らかにうつ病と疑われる状態になった2004年、皇太子は会見で妻の危機的状況を説明し社会に衝撃を与える(人格否定発言)。だが宮内庁の対応は精神病に対する偏見から消極的で、ようやく発表された病名は「適応障害」であった。また雅子妃に対する天皇・皇后・秋篠宮の発言は彼女への批判と報道で解釈され、皇太子は謝罪に追い込まれた。(8・9章)
職員らは皇太子妃の健康状態を心配するよりも公務や祭祀ができないことを非難し、悪意の噂を流した。病状が発表されて2年後の2006年12月、ようやく認知療法の専門家大野裕が担当医師として選ばれた。しかし日本の有力者や皇室ライター〔批判的なライターとして橋本明河原敏明などが実名で登場する。〕、ネット上の悪意の声は彼女が病気であることを認めようとしない。2009年には秋篠宮夫妻に男児・悠仁親王が誕生したが、皇位継承危機の根本的問題は解決していない。(9・10章)当人たちの心を無視して皇太子夫妻の離婚皇籍離脱などもささやかれ始めたが、皇族の離婚は難しい。ヒルズはこの物語の先に光が見えず、雅子妃が義理の母・皇后美智子と同じく目の光を失い決まり文句をささやく存在になり、友人や家族との関係も経たれ、国のためにあきらめた人生を後悔して生きていくことになるだろうと述べてこの著作をしめくくる。(10章)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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