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プリンケプス( プリーンケプス)は、帝政ローマ初期の政治体制の中心人物に対して使われる称号。ラテン語で「指導者」もしくは「第一人者」を指し、日本語では元首、第一人者という訳語が使われることが多い。ローマ皇帝の地位を代表して指す称号として使われるため皇帝と意訳されることもある。 事実上ローマ皇帝を指す呼び名であったが、直接この称号は「皇帝」を意味しない。あくまでもレトリック上の呼び名である。事実上の帝政ローマの創設者オクタウィアヌス(アウグストゥス)がこの意味においてははじめて用いた。 以下、混乱をさけるため創設者の名を「オクタウィアヌス」で統一する。 == 歴史 == この称号は正式には「プリーンケプス・セナートゥース( 、元老院の第一人者の意)」ないし「プリーンケプス・キーウィターティス( 、市民の第一人者の意)」という。 共和政時代から存在した称号・地位で、その時の元老院議員中最も権威をもち影響力を有する人物が就任していた(この共和政のプリンケプスに対しては「元首」の訳語は用いず、「第一人者」が使われることが多い)。第一人者は元老院で行われる議論に際して最初または最後に発言する権利を有しており、最も権威をもった人物の行う最初または最後の発言はその影響力をさらに強める効果をもった。 オクタウィアヌスの義父ガイウス・ユリウス・カエサルの時代に、寡頭政治であった共和政ローマの制度に変わる制度、すなわちより突出した権限を持つ個人を中心とした政治体制の枠組みが既に試みられていた。終身独裁官として就任したカエサルは自らが王ではないことを強調していたものの、強権的かつ独裁的な政治は共和派から専制政治と見なされ、元老院保守派に暗殺される。 その後、オクタウィアヌスは幾多の権力闘争を勝ち抜き、最終的に政治の主導権を握った。彼はカエサルのように独裁的な権限を得ることを望んでいたが、一方で共和政の継続を望む人々が暗殺や内乱を起こす事態を懸念していた。そのため、自分に突出した権限を与えつつ、その権限を元老院や民衆に専制君主制を連想させない穏当な名称にする必要があった。こうした経緯から考えられたのがプリンケプスである。 オクタウィアヌスの築いた独自の地位は複数の職権を合わせることでその権限を構成しているが(後述)、こうして構成された独自の地位を複数の職権の列挙ではなくこのプリンケプスという称号で代表させることが多い。そしてこの地位は、事実上皇帝を意味するようになった(こうした意味合いにおけるプリンケプスは「第一人者」のみならず「元首」とも訳され、さらには「皇帝」と訳されることもある)。 「元首」の地位はウェスパシアヌスにより複数の職権を合わせたものとして確立し、以降ディオクレティアヌスのもとで帝政が大きく変化するまでを「プリンケプスによる統治」としてプリンキパトゥス( 、元首政)と呼ぶ。'' 、元老院の第一人者の意)」ないし「プリーンケプス・キーウィターティス( 、市民の第一人者の意)」という。 共和政時代から存在した称号・地位で、その時の元老院議員中最も権威をもち影響力を有する人物が就任していた(この共和政のプリンケプスに対しては「元首」の訳語は用いず、「第一人者」が使われることが多い)。第一人者は元老院で行われる議論に際して最初または最後に発言する権利を有しており、最も権威をもった人物の行う最初または最後の発言はその影響力をさらに強める効果をもった。 オクタウィアヌスの義父ガイウス・ユリウス・カエサルの時代に、寡頭政治であった共和政ローマの制度に変わる制度、すなわちより突出した権限を持つ個人を中心とした政治体制の枠組みが既に試みられていた。終身独裁官として就任したカエサルは自らが王ではないことを強調していたものの、強権的かつ独裁的な政治は共和派から専制政治と見なされ、元老院保守派に暗殺される。 その後、オクタウィアヌスは幾多の権力闘争を勝ち抜き、最終的に政治の主導権を握った。彼はカエサルのように独裁的な権限を得ることを望んでいたが、一方で共和政の継続を望む人々が暗殺や内乱を起こす事態を懸念していた。そのため、自分に突出した権限を与えつつ、その権限を元老院や民衆に専制君主制を連想させない穏当な名称にする必要があった。こうした経緯から考えられたのがプリンケプスである。 オクタウィアヌスの築いた独自の地位は複数の職権を合わせることでその権限を構成しているが(後述)、こうして構成された独自の地位を複数の職権の列挙ではなくこのプリンケプスという称号で代表させることが多い。そしてこの地位は、事実上皇帝を意味するようになった(こうした意味合いにおけるプリンケプスは「第一人者」のみならず「元首」とも訳され、さらには「皇帝」と訳されることもある)。 「元首」の地位はウェスパシアヌスにより複数の職権を合わせたものとして確立し、以降ディオクレティアヌスのもとで帝政が大きく変化するまでを「プリンケプスによる統治」としてプリンキパトゥス( 、元首政)と呼ぶ。'' 、市民の第一人者の意)」という。 共和政時代から存在した称号・地位で、その時の元老院議員中最も権威をもち影響力を有する人物が就任していた(この共和政のプリンケプスに対しては「元首」の訳語は用いず、「第一人者」が使われることが多い)。第一人者は元老院で行われる議論に際して最初または最後に発言する権利を有しており、最も権威をもった人物の行う最初または最後の発言はその影響力をさらに強める効果をもった。 オクタウィアヌスの義父ガイウス・ユリウス・カエサルの時代に、寡頭政治であった共和政ローマの制度に変わる制度、すなわちより突出した権限を持つ個人を中心とした政治体制の枠組みが既に試みられていた。終身独裁官として就任したカエサルは自らが王ではないことを強調していたものの、強権的かつ独裁的な政治は共和派から専制政治と見なされ、元老院保守派に暗殺される。 その後、オクタウィアヌスは幾多の権力闘争を勝ち抜き、最終的に政治の主導権を握った。彼はカエサルのように独裁的な権限を得ることを望んでいたが、一方で共和政の継続を望む人々が暗殺や内乱を起こす事態を懸念していた。そのため、自分に突出した権限を与えつつ、その権限を元老院や民衆に専制君主制を連想させない穏当な名称にする必要があった。こうした経緯から考えられたのがプリンケプスである。 オクタウィアヌスの築いた独自の地位は複数の職権を合わせることでその権限を構成しているが(後述)、こうして構成された独自の地位を複数の職権の列挙ではなくこのプリンケプスという称号で代表させることが多い。そしてこの地位は、事実上皇帝を意味するようになった(こうした意味合いにおけるプリンケプスは「第一人者」のみならず「元首」とも訳され、さらには「皇帝」と訳されることもある)。 「元首」の地位はウェスパシアヌスにより複数の職権を合わせたものとして確立し、以降ディオクレティアヌスのもとで帝政が大きく変化するまでを「プリンケプスによる統治」としてプリンキパトゥス( 、元首政)と呼ぶ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プリンケプス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Princeps 」があります。 スポンサード リンク
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