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プレアヴィヒア寺院 (Preah Vihear Temple) とは、カンボジアとタイ王国国境にあるダンレク山地内のカンボジア王国領内(プレアヴィヒア州)に位置するヒンドゥー教寺院である。9世紀末にクメール人によって建設され、11世紀に増築されたとされる。タイ側の呼称はプラーサート・プラウィハーン () 。2008年7月に、世界文化遺産に登録された。 == 概要 == 寺院名の「プレアヴィヒア」とはクメール語で「神聖な寺院」の意味で、サンスクリットから来ている。タイ側の呼称である「プラーサート・プラウィハーン」も同じくタイ語で「神聖な寺院」の意味である。 ダンレク山地の海抜625mの断崖の頂上にあり、眼下に眺望が開けている。同国内のアンコール・ワットからは、北東120kmに位置する。カンボジアのプレアヴィヒア州Choam Khsant郡にあるが、隣接するタイのシーサケート県にあるカオプラウィハーン国立公園から伸びている参道を通って参詣するのが最も容易であったが、2008年の最初の紛争以来2012年現在まで国境封鎖中のためタイ側からは行けなくなった。アンコール遺跡群のあるシェムリアップからアンロン・ヴェンを経て遺跡へと向かう道路は全て舗装整備されており、車で片道3時間程度のため日帰りも可能となった。 9世紀にクメール王朝によって創建された時はヒンドゥー教のシヴァ神を祀る寺院であった。プレアヴィヒア寺院における建築で現存するものの中では、10世紀初期のコ・ケー時代のものが最古である。プレアヴィヒア寺院は数世紀にわたって増改築が重ねられ、10世紀末期のバンテアイ・スレイ様式も残っているが、今日目にする寺院建築の大半は、11世紀前半のスーリヤヴァルマン1世と12世紀前半のスーリヤヴァルマン2世の治世に増築されたものである。寺院内にはスーリヤヴァルマン2世が祭祀を学び、師であるバラモンに像などを寄進したという銘文が残っている。ヒンドゥー教がこの地域で衰退すると、プレアヴィヒア寺院は仏教寺院となった。 プレアヴィヒア寺院はクメール王朝の寺院建築の中では珍しく東向きではなく、南北軸に沿って建てられている。長さは約800m。北側は平地で、今日ではここに国境線が走っており、その向こう側はタイの領土となる。参道は丘を登る形で南に伸び、そこに伽藍が位置する。南端は北端より120m高くなる。これは須弥山を模した形式である。参道には5つの楼門があり、北側から第5、第4…と便宜的に呼ばれている。各楼門とも階段を昇った上に建てられ、そこで眺望に変化がもたらされる。また楼門を潜らないと次の中庭が視野に入らないような工夫がなされている。第5楼門はコ・ケー様式で朱の色彩が残っているが、屋根の装飾は失われている。第4楼門はアンコール・トムのバプーオンやクリアンと同じ様式で、南側に三角形の切妻壁がある。これには乳海攪拌のクールマが描かれており、プレアヴィヒア寺院の傑作のひとつである。第3楼門は最大のもので2つの側門がある。最後に2つの中庭を経て、境内となる。外側の中庭には経蔵がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プレアヴィヒア寺院」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Preah Vihear Temple 」があります。 スポンサード リンク
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