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プロイセン邦有鉄道P8型蒸気機関車(プロイセンほうゆうてつどうP8がたじょうききかんしゃ、)は、プロイセン邦有鉄道(プロイセン国鉄)が1906年からベルリン機械製造(旧シュヴァルツコップ)およびその他12のメーカーで製造した、設計による蒸気機関車である。後にドイツ国営鉄道(ドイツ国鉄)においては38.10 - 40形に分類された。これは不成功とみなされた、の後継機として意図されたものであった。 == 設計および製造 == ガルベは可能な限り簡素な設計をすべきという考えの支持者であったため、簡素な過熱式2シリンダー蒸気機関車が考えられた。P8型は、当時ちょうどによって発明されたばかりで、当時としては傑出した性能を発揮することができる過熱蒸気の技術を利用している。P8型は、機関士が特に優れていなくても走る、とても経済的な機関車であった。当初はガルベはP8型を急行列車用にも設計していたため、最高速度は110 km/hを出せるように考えていた。この結果、初期の車両は空気抵抗の小さい風切形の運転台を搭載していた。 当初は新しい機関車に対する乗務員の期待は限られたものであった。ボイラーの蒸気発生はとても良好で、これは火室前端に既に燃焼室が備えられていたことを示す。しかし数多くの初期不良に苦しめられることになった。たとえば、動輪の車軸が小さすぎて軸焼けを頻繁に起こすこと、プロイセン流の箱型炭水車との連結が弱くて後進時に酷い揺れ方をすることなどの問題があった。この走行性能の問題は結局完全に解決されることは無かった。重量バランスが悪かったために、ガルベの期待したような最高速度は出すことができず、結果的に最高は100 km/hと査定された。 P8型の特徴の1つとして、カップリングロッドで連結されている3つの動輪のうち、第2動輪と第3動輪の間隔が広く離れていることがある。また当初はP8型は蒸気ドームを砂箱の後にのみ装備していたが、後に前側にも追加された。さらなる構造上の変化が、運転台の屋根、除煙板や様々な外部の部品などに見られる。 小型の転車台でも機関車を転向できるようにするために、プロイセン邦有鉄道では当初P8型に水21.5 m3と石炭7 tを積む炭水車を組み合わせた。後にドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)では38形に、運用を終了したいわゆる「」(クリークスロコ)と呼ばれる戦時設計の機関車の炭水車と組み合わせられた。これは特に、より多くの石炭を積める船底型炭水車が用いられた。これに加えて後進時の最高速度は50 km/hから85 km/hに引き上げられた。 これに対してドイツ国営鉄道(東ドイツ国鉄)も、やはり運用を終了した17形蒸気機関車の炭水車を利用した。こうした炭水車は長距離炭水車と呼ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プロイセン邦有鉄道P8型蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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