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グルコスルホンナトリウム
グルコスルホンナトリウム (glucosulfone sodium)、商品名プロミン (promin) はスルホン系の医薬品であり、マラリア、結核、ハンセン病〔 Reprint (1966) ''International Journal of Leprosy'' 34(3): 298–310.〕の治療のため開発された。体内で(4,4'-ジアミノジフェニルスルホン)へと分解して作用する。 == 歴史 == プロミンを最初に合成したのは社のエドワード・ティリットソン (Edward Tillitson) とB・F・テュラー (B. F. Tuller) で、1937年8月のことだとされている〔 Reprinted in ''The Star'' October-December 2003.〕。しかし、パーク・デイビスがこの化合物を合成したことは事実であるものの、実際にはこれが最初ではなかった。すなわち、1908年にJ・ウィットマン (J. Wittman) とエミール・フロム (Emil Fromm) が種々のスルホン化合物を合成し、その中にはプロミンなどダプソンの誘導体も含まれていた。フロムとウィットマンは化学的性質などにしか興味を持たなかったため、医薬品としての効果を調べる者は数十年後まで現れなかった〔。スルホン系の化合物が医薬として注目を浴びたのは、サルファ剤(スルホンアミド)が細菌による感染症の治療に著しい効果を持つことが知られるようになってからである。調査は当初思わしい結果を出さなかったが、じきにプロミンやダプソンがマイコバクテリア感染症に有効なことが明らかになった。これらの薬剤は、マイコバクテリア感染症に対する初めての確実な治療薬であった。 プロミンはダプソンよりも安全性の点で優れているとみられたため、メイヨー・クリニックにおいて、モルモットを使った結核治療についてさらなる研究が行われた。また、ハンセン病と結核はともにマイコバクテリウム属の細菌(それぞれらい菌と結核菌)によって引き起こされることがすでに知られていたことから、ルイジアナ州カーヴィルにあった国立ハンセン病療養所のガイ・ヘンリー・ファジェットは、パーク・デイビスにプロミンの情報を求めた。彼らはこれに答えて、ワシントン大学医学部のエドマンド・カウドリー (Edmund Cowdry) による、ラットでのハンセン病の研究結果をファジェットに知らせた。カウドリーが1941年に発表したこの結果は成功裏に終わるものであったため、ファジェットはプロミンとアボット・ラボラトリーズ社による類似の薬・スルホキソンナトリウムについて、ヒトでの治験開始を決意した。最初の試験は6人の志願者に対して行われ、のち、場所と被験者を増やして繰り返された。副作用が強かったため最初の試験は一時的に停止されたが、プロミンは治療に有効であることが示された〔。この結果は画期的なものとして世界中に知らされ、ハンセン病につきまとっていた汚辱的な印象(スティグマ)を緩和し、その時代「収容者」として公共の場所から遠ざけられていた患者の扱いを向上させた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グルコスルホンナトリウム」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Promin 」があります。
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