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プロレスリング・セム : ウィキペディア日本語版
プロレスリング・セム
プロレスリング・セムは、プロレスリング・ノア主催の若手選手による興行。略称はSEM。
== 概要 ==
2006年1月、取締役の仲田龍は「若手ばかりの興行をやりたい」と明言。2005年末に若手4人がデビューしたものの、団体内の選手数が飽和状態であり、天龍源一郎鈴木みのるといった大物フリー選手も参戦しているため、シリーズ内では試合の無い日も多い。三沢光晴社長は試合で選手が伸びるという方針のため、試合数が少ない若手にチャンスを与えようと、丸藤正道KENTA力皇猛森嶋猛らをエースに据えた若手中心の大会を計画。
セムとはノアの方舟、ノアの息子の名前。つまり、ノア2軍とも言える大会であり、当初ノアを設立した際に三沢が描いていたプランである。他団体の選手でも出場を希望すれば、どんどん出場させる意向をノア側は示している。
第1回大会は2006年3月21日、ディファ有明で行われた。当初用意される予定であった客席数は340席だが、前日になりその話題性の高さから急遽420席に増席した。開場数時間前から百人以上が列を作った。第2回は2006年5月7日に行われたが、この第二回でも急遽当日になって120席増席し、450人満員(主催者発表)となるなど、話題性が高く一種の「ブランド」として定着していると言える。また招待券ゼロ、広告費ゼロの興行であり、現在のメジャープロレス団体が行う興行としては異例である。
仲田は「このメンバーで将来的には2000人動員させることが目標」と語っており、丸藤も「セムがノアの将来の姿。三沢さんや小橋さんに出たいと言わせたい」と意気込みを話している。
2006年8月からは、通常のノア、ディファ有明大会の試合開始前に「SEM ex(エクストラ)」を開催している。セムの主力選手達が当時、ノアのオフ期間を利用して海外遠征をしている関係上、セムが開催できなかったためであり、以降もスケジュールが合わない事態が起こった場合にはこの形態を取る(通常の第1試合前に2試合ほど行われ、プロレス界で使われる「第0試合」の形である。なお、この「エクストラ」の場合はセム方式は取らない。あくまで通常のノアのチケットで入場することになる)。
2007年8月4日には初めてディファ有明ではなく、春日部市の「かすかべ湯元温泉第2駐車場特設リング」にて入場無料での興行が行われた。また9月30日には、大阪市港区の「カルチェラタン世界館」にて、初の首都圏以外でのセムが行われた(通常のセム方式で行われる)。以降、札幌などディファ以外の会場でもセムが行われている。
2008年2月25日に行われた第9回大会は、ノアのスポンサーであるリーヴライフ トゥエンティーワンが冠スポンサーとなり、健介オフィスとのコラボレート興行となることを発表。初めて前売券を発売することも発表しているが、これまでと同じく、全席自由席で席取りは早いもの順となる。また、これを期にセムをオープン化することも発表し、ノアと健介officeが交互に主催し開催し、両団体の対抗戦がメインとなっている(健介office主催大会の場合、ノアは後援となる)。システム(セム方式)の一部が2008年より変更となったほか、年間20大会を目処に開催していくことも併せて発表された。
2008年8月には、健介オフィスの主催で、初の後楽園ホール大会を開催する。
2008年9月には、健介オフィスに続き、DDTプロレスリング主催大会を開催。
若手にチャンスを与えるという名目で生まれた興行であったが、立ち上げのきっかけになった当時の新人4名のうち太田一平伊藤旭彦青木篤志が退団。セム立ち上げ以降、2013年2月に熊野準がデビューするまで約7年間新人が生まれなかった。ノアの所属選手も2006年当時より大幅に減り「団体内の選手数が飽和状態であり、試合数が少ない若手にチャンスを与える」という立ち上げの概念が崩れてしまっている。そのためか「プロレスリング・セム」としての興行は2011年2月8日の第28回大会を最後に行われていなかった。
前出の熊野のデビューに加え、他団体から若手選手が移籍するなどしたため2013年11月12日から3日間に渡りラゾーナ川崎プラザソルで再び開催される。
2014年は4月16日に「SEMex. In SHINJUKU」として新宿FACEで開催され、初となる女子プロレスの試合(華名ラビット美兎)も発表されている。以降女子プロレスのシングルマッチやノア勢と他団体勢とのタッグマッチなど通常の興行とは違うマッチメークという側面が強くなっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「プロレスリング・セム」の詳細全文を読む



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