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プロレス最強論(プロレスさいきょうろん)は、プロレスが最強の格闘技であるという主張。 アントニオ猪木らが、プロレスは「打・投・極」のあるバランスのとれた最も実戦的な徒手格闘技であると主張し、それを証明するため、空手、柔道、ボクシングなどの他の格闘技と異種格闘技戦を繰り広げた。柔道無差別級ミュンヘンオリンピック金メダリストのウィレム・ルスカを破り、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリと引き分けるなどの猪木の実績により、当時の新日本プロレスファンの間にプロレス最強論は広く受け入れられた。 総合格闘技の世界的普及の幕開けとなったUFC1では、ケン・シャムロックがプロレスラー(シューティングスタイル)の代表として参戦している。PRIDE.1での、ヒクソン・グレイシーvs高田延彦の一戦も、「プロレス最強」を賭けた戦いとして話題となった。一般には、高田と船木誠勝がヒクソンに敗れたことでプロレス最強論は下火になった観があるが、「今のレスラーが負けたからといってプロレスが弱いとは限らない」(ルー・テーズ、カール・ゴッチ、ダニー・ホッジといった往年のシューターの全盛時ならヒクソンに負けるようなことはない)という議論もある。ビル・ロビンソンは「全盛時のホッジがオクタゴンでホイス・グレイシーと戦ったら」という質問に「5分以内に手足全部へし折ってホッジが勝つ」と答えている。 なお「プロレス最強論」という時の「プロレス」は主に新日本プロレス及びその系統のレスラーだけが対象となり、ジャイアント馬場の全日本プロレス系のレスラーはほとんど考慮されず議論にも上らない。馬場は「プロレスはプロレスである」と言い、他の格闘技と試合をする必要などないという「純プロレス」の立場を堅持していた。実際、プロレスラーの中には、普通の総合格闘技ルールでは禁止技とされる頭突きを必殺技とする人物(ボボ・ブラジルなど)や凶器や火炎殺法を主武器とする人物(ザ・シークなど)、電流爆破などの過激なデスマッチを売りにする人物(大仁田厚など)もおり、プロレスラーの幅広いスタイルのうち総合格闘技の枠にはまるのはごく一部である。 なお、猪木の側近として異種格闘技戦を推進した新間寿は、「馬場さんみたいにアメリカのプロレス界に強力なネットワークがあったら異種格闘技戦なんかやる必要なかった」と後年語っている。 == プロレスラーの総合格闘技での主な実績 == * 1995年4月7日、ケン・シャムロックがUFC 5でホイス・グレイシーと時間切れ引き分け。グレイシー初の引き分け試合。 * 1995年12月16日、ダン・スバーンがUFCの上位入賞者を集めたUltimate Ultimate 1995で優勝。 * 1997年2月7日、高橋和生がUFC 12でヴァリッジ・イズマイウを破る。UFCにおける日本人初勝利。 * 1998年10月11日、アレクサンダー大塚がブラジルの伝説的格闘家だったマルコ・ファスを破る。 * 1999年11月21日、桜庭和志がホイラー・グレイシーを下しUFC以後初めてグレイシー一族を総合格闘技試合で破る。 * 2000年5月21日、藤田和之が元UFC王者であり当時霊長類ヒト科最強の格闘家と言われていたマーク・ケアーを破る。 * 2008年11月15日、ブロック・レスナーがUFC世界ヘビー級王座を獲得。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プロレス最強論」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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