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プロレス活き活き塾・無限 : ウィキペディア日本語版
プロレス活き活き塾・無限[ぷろれすいきいきじゅく むげん]
プロレス活き活き塾 無限(プロレスいきいきじゅく むげん)は、「自己啓発セミナー『ラブライフ』塾長の久世和彦が『プロレスを通して自己啓発を推進するために設立した団体』」という設定で行われた、日本のプロレス興行
== 概要 ==
2002年4月17日北沢タウンホールで旗age戦(旗揚げ戦)を行なった。
当初、旗age記者会見で発表されたメインイベントは団体側が推すエースの佐野直森谷俊之による有刺鉄線マッチであったが、実際に取材のためナイタイスポーツの記者として来場していた片岡"幻"亮が、マッチメイクにケチを付けて因縁が勃発。さらに片岡は、久世塾長と森谷に暴行を働くという暴挙に出た。
この片岡が、かつて喧嘩プロレス二瓶組に所属したこともあり、またK-1にも参戦経験のある格闘家でもあったため、急遽、その場で遺恨凄惨マッチとして、佐野対片岡の試合が組まれることになった。
その後、流血、負傷させられた久世塾長が、片岡の当時の勤務先であるナイスポへ抗議に訪れたものの、車椅子のまま坂道へ放り投げられ返り討ちに遭い、その数日後には活き活き塾へ入塾したまま家出したレスラー比多一朗太の母親が、久世塾長の入院先に現われ、子供を帰せと脳天をビール瓶で殴打したりと、旗age戦までのわずか数週間で、エース佐野よりも、久世塾長の流血をも辞さないハードバンプ、そして絶妙なセリフ回しで大ヒールとしてキャラクターの際立った片岡が注目されていくことになった。
これら団体を取り巻く珍騒動は逐一、プロレス、格闘技専門CS局FIGHTING TV サムライ内のニュース番組で報道され、当時はインディー団体への偏見が根強かった業界内外で物議を醸した。
満員の観客を集め北沢タウンホールで行われた旗age戦は、映像(編集作業を行ったのは後のマッスル坂井)と音楽、スキットを多用し、プロレスの範疇を越えた演劇的なストーリー展開など、非常にエンターテインメント性が高く、業界内、特に制作サイドの関係者の間では高い評価を得た。
ただし注目のメインイベントは、片岡の右ストレートを食らった佐野が脳震盪を起こしてTKO負け、という後味悪い結果に終わる。終了直後、片岡は「打ち合わせのないプロレスは気持ちがいいなぁ!」とアピールしたが、この試合は、通常のプロレスの試合とは逆に「事前に勝敗を決めていなかった」との話もある。
2002年5月14日に同じ北沢タウンホールで第2戦。敗戦のショックから行方不明になっていた佐野が興行終了間際に登場するというドラマチックな展開で、片岡との因縁の再戦がゴング。片岡のセコンド美女・唯華によるスプレー攻撃が片岡に誤爆し、その間隙をぬって見事にジャーマン・スープレックス・ホールドで雪辱を果たした。なお、大会前には矢追純一と久世塾長のトークショーが行われ、矢追は塾生(観客)に「気合を入れる」と称して宇宙パワーを注入するパフォーマンスを見せた。
2002年6月30日大阪デルフィン・アリーナで第3戦。活き活き塾の軍門に下り、片岡がベビーターンしたことで愛想を尽かした唯華が次のパートナーとして久世塾長に目を付けた。だが、久世塾長にはフィアンセ・千佳がいたことで、大阪を舞台に愛憎劇が繰り広げられることになった。
2002年7月26日に北沢タウンホールで第4戦を行い、以後、無期限の活動休止となる。
この団体は、公式サイトに記載されている住所が、クリエーター赤木太陽(この以前よりプロレス興行のスキット作成に参加していた)が主宰する企画集団マッシュルーム、及びその関連会社でありDDTプロレスリングなどでレフェリーをしていたジャッジ金子(試合会場での目撃談多数アリ)が率いるイベント会社ジャッジサポートの当時の所在地と同一である。またマッシュルームの公式サイト内において「エンターテイメントプロレス団体を旗揚げ」との記載が会社経歴に存在しており、サムライ内で放送されたスキットVTRに久世塾長の秘書としてしばしば登場した数人は、マッシュルーム所属名義で各種マスメディアにおいて署名記事を執筆しているライターであった。さらに、塾長と同名の「久世和彦」なる人物(書籍編集者で現在ハフィントンポスト日本版の「ブログ&インターナショナルエディター」、)が、マッシュルームが大きく関与した書籍『地獄のアングル―プロレスのどん底を味わった男の告白』(永島勝司、ISBN 978-4872575248)の「編集」としてクレジットされている。
これらのことから、この団体は「赤木太陽が次世代のプロレスの1つのあり方を示すために立ち上げた実験プロジェクト」だったと考えられる。直接の関連は不明だが、こうした「常識を超えた」スキットの展開は、現在のプロレス界のひとつの潮流である、エンターテイメントに振り切った路線を先取りしていたとも言える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「プロレス活き活き塾・無限」の詳細全文を読む



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