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プローディ委員会(プローディいいんかい、1999年9月13日 - 2004年11月21日)はイタリアの元首相ロマーノ・プローディを委員長とする欧州委員会。 ==沿革== プローディ委員会は1999年9月13日、不祥事を起こし機構の威信を傷つけたサンテール委員会の総辞職を受けて暫定的に任命されていたマリン委員会を経て発足した。当初委員は20名で構成され、その後2004年の欧州連合 (EU) の拡大を受けて30名となった。プローディ委員会は、加盟国の中でも規模が大きい5か国が2人の委員を出していた最後の委員会となる。 この10代目となる欧州委員会はアムステルダム条約により権限やその影響力が拡大されている。一部のメディアではプローディを「 EU の首相」と表現している〔Barry James Prodi to Have Wide, New Powers as Head of the European Commission インターナショナル・ヘラルド・トリビューン 1999年4月16日 (英語)〕〔John Rossant Romano Prodi: Europe's First Prime Minister? (int'l edition) ビジネスウィーク 1999年9月27日 (英語)〕。 EU の拡大やアムステルダム条約のほかに、プローディ委員会の下ではニース条約の発効、そして欧州憲法条約の策定と調印がなされた。この中でプローディは協議において「従来の方法」を採用している。1999年にはユーロが導入され、2002年には全15加盟国中12か国で現金が発行され、通貨統合がなされた。しかし、プローディ委員会は精彩を欠いていると批判され、その情報発信力の乏しさのために EU の拡大やユーロの登場といった大きな出来事があったにもかかわらず、それらに衝撃力を与えることができなかった。 プローディ委員会は2004年10月31日で任期を終えるはずだったが、後任のバローゾ委員会の人事案が欧州議会での承認を受けることができなかったため、同年11月21日まで任期が延長された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プローディ委員会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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