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プーンサワット・クラティンデーンジム(、、男性、1980年11月20日 - )は、タイのプロボクサー。元WBA世界バンタム級暫定王者。第29代WBA世界スーパーバンタム級王者。 ニワット・ラオスワンワット(Niwat Laosuwannawat)がプロモーター兼会長を務めるギャラクシーボクシングプロモーション所属。 == 来歴 == 2001年6月15日、プロデビュー。 2001年10月12日、バンコクで行われたPABAバンタム級暫定王座決定戦でリー・エスコビド(フィリピン)と対戦し、3-0の判定勝ちを収め、王座を獲得した。 2011年12月12日、チエンマイ県でアレックス・エスカネル(フィリピン)と対戦し、3回KO勝ちを収め、初防衛に成功した。 2002年2月13日、バンコクでペドリト・ローレンテ(フィリピン)と対戦し、4回TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 2002年2月、サオヒン・シリタイコンドーの王座返上に伴い空位となっていた正規王座に認定されPABAバンタム級正規王者となった。 2003年8月29日、WBAフェデラテンバンタム級王者モイゼス・カストロ(ニカラグア)と、コーンケン県で対戦し、9回KO勝ちを収め、PABA王座の10度目の防衛に成功、WBAフェデラテン王座の獲得に成功した。 2004年4月、WBAフェデラテンバンタム級王座を返上。 2005年5月24日、ホエル・バウヤ(フィリピン)と対戦し、PABA王座17度目の防衛に成功した。 2005年8月31日、WBA世界バンタム級暫定王座決定戦でリカルド・コルドバ(パナマ)と対戦し、2-1(116-113、111-118、116-114)の判定勝ちで無敗のまま世界王座を獲得した。無敗決戦に敗れたコルドバに初黒星をつけた。 2005年12月22日、レオ・ガメス(ベネズエラ)と対戦し、3-0(120-109、2者が119-110)の判定勝ちで初防衛に成功。ガメスの5階級制覇を阻止した。この試合でガメスは引退することになった。 2006年7月15日、カラー・ライン・アレーナでWBA世界バンタム級正規王者ウラジミール・シドレンコ(ウクライナ)と王座統一戦で対戦し、プロ初黒星となる0-3(108-120、112-116、113-115)の判定負けを喫し王座統一に失敗、暫定王座から陥落すると共に、プーンサワットが約11ヵ月保持してきた暫定王座は正規王座に吸収される形で消滅した。 2006年9月8日、ジョナタン・バアトとPABAスーパーバンタム級王座決定戦で対戦し、2回2分5秒KO勝ちを収めPABA2階級制覇を果たすと共に再起に成功した。 2006年12月19日、元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者でPABA同級暫定王者ペドリト・ローレンテ(フィリピン)との4年ぶりの再戦が王座統一戦となり、2回2分34秒KO勝ちを収め、王座の統一に成功、初防衛に成功した。 2008年3月31日、WBA世界スーパーバンタム級王座挑戦者決定戦でソムサック・シンチャチャワン(タイ)と対戦し、11回TKO勝ちで指名挑戦権を獲得した。 2009年4月30日、WBA世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦でラファエル・エルナンデス(ベネズエラ)と対戦し、9回TKO勝ちで暫定王座を獲得し、2階級制覇を達成した。 2009年9月26日、アイルランド・ダブリンのThe O2でWBA世界スーパーバンタム級正規王者バーナード・ダン(アイルランド)と対戦し、3回2分57秒KO勝ちを収め、王座統一を果たすと共に初防衛に成功し正規王者となった〔プーンサワット、ダブリンで王座統一 WBA・S・バンタム級 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年9月28日〕。 2010年1月11日、東京ビッグサイトにて細野悟と対戦し、2-0(115-113、114-114、117-113)の判定勝ちを収め、2度目の防衛に成功した〔細野右拳痛め悔しい判定負け 日刊スポーツ 2010年1月12日閲覧〕。 2010年5月20日、マハーサーラカーム県ボーラブー郡のボーラブー学校にて木村章司と対戦し、4回2分23秒KO勝ちを収め、3度目の防衛に成功した〔木村4回KO負け-タイのWBA戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月20日〕。 2010年10月2日、後楽園ホールにて、WBA14位の李冽理と対戦し、0-3(110-118、113-115、114-115)の判定負けを喫し4度目の防衛に失敗、王座から陥落した〔李冽理が新王者 WBAスーパーバンタム級 共同通信 2010年10月2日〕。勝てばラスベガスに進出できるチャンスと同時にボブ・アラムのトップランクとは契約寸前だっただけに白紙になった。 2011年1月24日、サムットソンクラーム県のバーンカンテークでシムソン・ブタブタ(インドネシア)と対戦し、再起戦となる6回戦で判定勝ちを収め、再起に成功した。 2011年4月19日、バンコクのクルンテープ・トンブリ大学でエリック・バルセロナ(フィリピン)とPABAスーパーバンタム級スーパー王座決定戦を行い、6回にバルセロナの顎の負傷が試合続行不可能と判断され、3-0(58-55、59-54、59-54)の負傷判定勝ちで王座獲得に成功した。プーンサワットは2年ぶりのPABA王座での戴冠でスーパー王者となった。 2011年8月9日、タイ・チャイナート県サッパヤー郡ポーピタック村でモハメド・マトゥレ(エジプト)と対戦し、4回1分20秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した。 2012年3月5日、タイ・チエンマイ県の700年記念競技場でジロ・メルリン(フィリピン)と対戦し、9回1分49秒TKO勝ちを収め、2度目の防衛に成功した。 2012年6月5日、タイ・アユタヤ県のアユタヤパークでドンドン・ヒメネア(フィリピン)と対戦し、5回1分37秒KO勝ちを収め、3度目の防衛に成功した。 2012年9月18日、バンコクのクルンテープ・トンブリ大学でダニーロ・ペーニャ(フィリピン)と対戦し、3-0(115-113、117-111、115-113)の判定勝ちを収め、4度目の防衛に成功した。 2012年11月、PABAスーパーバンタム級スーパー王座を返上。 2012年12月13日、同月15日にテキサス州ヒューストンのトヨタセンターでWBA世界スーパーバンタム級王者ギレルモ・リゴンドウと対戦予定だったが、試合2日前の予備検診で行われた血液検査でHIVの陽性反応があった為、テキサス州コミッションがプーンサワットのライセンス発行を拒否し、自身のアメリカデビュー戦になる筈だった試合は中止になった。彼の妻のウアンカーン・ウドンナさんは「血液が逆流する病気と貧血症が影響し、検査でアウトになった。」と主張しHIV感染を否定〔プーンサワットが血液検査で陽性 リゴンドウ戦中止 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年12月15日〕、その主張通り彼が患っていたのはサラセミアという血液の病気で、HIVの陽性反応は誤報であったのだが、翌14日に彼は32歳の若さでリングを去る決意をした。年が明けて2013年を迎えて「プーンサワットはサラセミア(地中海貧血=遺伝性の貧血症)を患っていた」とメディアによる訂正記事の掲載がなされた。タイからのニュースによれば、「サラセミアとの戦いの中でHIVの陽性反応が出て、リゴンドウ戦が中止になったことを機にプーンサワットが引退を表明した。」とのこと〔プーンサワットは貧血だった・・・引退発表 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年1月13日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プーンサワット・クラティンデーンジム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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