翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘニング・アレクサンダー・フォン・クライスト
・ ヘニング・グレナンダー
・ ヘニング・ステンスルート
・ ヘニング・ソルベルグ
・ ヘニング・フォン・トレスコウ
・ ヘニング・フォークト
・ ヘニング・ブラント
・ ヘニング・ベルグ
・ ヘニング・マンケル
・ ヘニ・カイペル
ヘニー・キュイパー
・ ヘニー・キロワット
・ ヘニー・クイパー
・ ヘニー・クイペル
・ ヘニー・マイヤー
・ ヘネシー
・ ヘネシー (競走馬)
・ ヘネシーコニャックゴールドカップ
・ ヘネシーパフォーマンス
・ ヘネシー・ロード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘニー・キュイパー : ウィキペディア日本語版
ハニー・クイパー

ハニー・クイパー(Hennie Kuiper。1949年2月3日- )はオランダの元自転車競技選手。
アマチュア時代、1972年ミュンヘンオリンピックの個人ロードを制し、翌73年プロ入り。1975年にはオランダ国内選手権及び世界自転車選手権を制したが、この年を境にクイパーはプロ選手として本格化する。
1976年にはツール・ド・スイスで総合優勝。そしてツール・ド・フランスにおいて、総合優勝寸前のところまで来たケースは2回あった。1977年大会では総合優勝のベルナール・テブネにわずか48秒差。1980年ベルナール・イノーの途中棄権により、絶好のチャンスかと目されたが、同郷のヨープ・ズートメルクに山岳ステージで引き離された。他にもツールではラルプ・デュエズの区間を連覇するなど活躍したが、惜しくも総合優勝には届かなかった。
ツールで2度2位を経験した後はクラシックレースで大活躍。当時、オリンピック金メダリストはプロ入りしてからは大成しないというジンクスがあったが、クイパーはそれを打ち破った。「モニュメント」では4勝したが、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュだけは制覇できなかった。
現役引退後はモトローラ、ラボバンクでチームスタッフの仕事に就き、その傍ら、オランダチームのコーチも兼任した時代もあった。
1995年ツール・ド・フランスファビオ・カサルテッリの死亡事故が起こったとき、所属チーム、モトローラの監督をしていたのがクイパーである。1972年オリンピックの個人ロード金メダリストは、20年後のオリンピックの個人ロード金メダリストを目の前で失うという悲劇に見舞われた。
==主な実績==
;1972
:ミュンヘンオリンピック個人ロード優勝(アマチュア時代)
;1975
: 世界自転車選手権 優勝
: オランダ国内選手権 優勝
: ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合5位
;1976
: ツール・ド・スイス 総合優勝
: ツール・ド・フランス 総合4位
;1977
: ツール・ド・フランス 総合2位。ラルプ・デュエズ区間優勝
: オランダ スポーツマンオブザイヤー受賞
;1978
: ツール・ド・フランス ラルプ・デュエズ区間優勝
: ツール・ド・ロマンディ総合2位
;1979
: ツール・ド・フランス 総合4位
: パリ〜ルーベ 3位
;1980
: ツール・ド・フランス 総合2位
;1981
: ロンド・ファン・フラーンデレン 優勝
: ジロ・ディ・ロンバルディア 優勝
: ツール・ド・オランダ 総合2位
;1982
: グランプリ・ド・ワローヌ 優勝
;1983
: パリ~ルーベ 優勝
: ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合5位
;1985
: ミラノ~サンレモ 優勝
: ロンド・ファン・フラーンデレン 3位

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハニー・クイパー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hennie Kuiper 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.