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ヘニー・キロワット (Henny Kilowatt) は1959年型モデルとして登場した世界初の現代型(つまりトランジスター制御の)電気自動車である〔Westbrook, M: "The Electric Car: Development and Future of Battery, Hybrid and Fuel-Cell Cars", Institution of Electrical Engineers (UK) & Society of Automotive Engineers (USA), 2001〕。 キロワットはゼネラルモーターズの「GM・EV1」などの近年のバッテリー式の電気自動車につながる車である。ヘニー・キロワットのために開発された電気利用の走行技術は現代の電気を利用したハイブリッド車の開発においても用いられ貢献している〔Victor Wouk, Hybrid Electric Vehicles, Scientific American, 1997-10, p70-74〕。 == 資金 == ヘニー・キロワットはナショナル・ユニオン・エレクトリック社のプロジェクトであった。ナショナル・ユニオン・エレクトリック社とは、エマーソン・ラジオ、ヘニー・モーター・カンパニーを傘下にもつ大企業であり、1953年にユーレカ・ウィリアムズ社を買収していた。ヘニー・キロワット・プロジェクトはナショナル・ユニオン・エレクトリック社の社長でありユーレカ社の社長でもあったC・ラッセル・フェルドマン〔Audio recording of interview with R. Feldman: CalTech Institute Archives - Millikan Library, 1972〕が主導した。電気自動車を製作するにあたり、フェルドマンはニューヨーク州カナストタ(Canastota)を本拠地とする ヘニー・モーター・カンパニーコーチワーク部門のサポートを得た。ヘニー社は1868年以来カスタムのコーチ造りを営んでいた会社だった。パッカードのボディ製作でその名は自動車業界にもよく知られていた。ヘニー社はリムジン、救急車、霊柩車などを大量に手がけており、そのほとんどがパッカードのシャシーに架装したものだった。 当時のナショナル・ユニオン・エレクトリック社は鉛蓄電池 (Exide Battery) のメーカーであった。米国自動車業界が化石燃料ではなく鉛蓄電池を利用した自動車に転換してくれることをナショナル・ユニオン・エレクトリック社が望むのは当然のことだった。エキサイドバッテリーを統率していたモリソン・マクマラン・ジュニア(Morrison McMullan Jr.)もキロワット開発に携わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘニー・キロワット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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