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ヘルシンキオリンピックは、1952年7月19日から8月3日まで、フィンランドのヘルシンキで行われた夏季オリンピック。 == ハイライト == * ヘルシンキでの五輪は本来1940年、東京で予定されていたものが、日中戦争激化を理由に開催中止となり、その代替として繰り上げ開催される予定になっていたが、その後の第二次世界大戦の勃発により、1940年の開催は返上されているため、実質は初開催であるが、夏季五輪は規定により開催されなかった年も回次が付き「みなし開催」とされており、公式にはヘルシンキにおいて2度目の開催という扱いになる。 * 大会直前、7月17日の国際オリンピック委員会総会において、賛成33、反対20で中華人民共和国と中華民国双方の参加が決まり〔中共、国府両チーム IOC大会参加を認む 朝日新聞1952年7月18日朝刊4面〕、中華民国はこれに反発して参加を取りやめた〔中共は水上に参加? チームのヘルシンキ到着が問題 朝日新聞1952年7月19日朝刊4面〕。中華人民共和国はオリンピック初参加となった。 * フィンランドの英雄パーヴォ・ヌルミとハンネス・コーレマイネンによって聖火が届けられ、同国民が歓喜した。 * 日本にとって第二次世界大戦後初(16年ぶり)の夏季オリンピックの参加となった。 * ソ連がオリンピック初参加。金メダル第1号は陸上競技女子円盤投のニーナ・ロマシェコワであった。 * 馬術で軍人以外の男子と女子の参加が認められ、デンマークのリス・ハルテルが同競技初の女子金メダリストになった。 * チェコスロヴァキアのエミール・ザトペックが、陸上競技長距離種目(5000メートル、10000メートル、マラソン)で3つの金メダルを獲得 * ヨーロッパの小国ルクセンブルクのヨジー・バーテルが、陸上競技男子1500メートルで優勝したことにより大番狂わせを演じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘルシンキオリンピック」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 1952 Summer Olympics 」があります。 スポンサード リンク
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