翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘンリー・レイパー
・ ヘンリー・レイヤード
・ ヘンリー・レガッタ
・ ヘンリー・レムゼン
・ ヘンリー・レヴィン
・ ヘンリー・ロイス
・ ヘンリー・ロイド
・ ヘンリー・ロイヤル・レガッタ
・ ヘンリー・ロウリンソン
・ ヘンリー・ロスコー
ヘンリー・ロッジ
・ ヘンリー・ロッジ・ジュニア
・ ヘンリー・ロドリゲス (投手)
・ ヘンリー・ロノ
・ ヘンリー・ロリンズ
・ ヘンリー・ロングフェロー
・ ヘンリー・ロースン
・ ヘンリー・ローズ
・ ヘンリー・ローソン
・ ヘンリー・ローランド


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘンリー・ロッジ : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・カボット・ロッジ

ヘンリー・カボット・ロッジ(, 1850年5月12日 - 1924年11月9日)はアメリカ合衆国政治家歴史家
== 概要 ==

連邦下院議員(1887年 - 1893年)、連邦上院議員(マサチューセッツ州選出、1893年 - 1924年)。上院では外交委員長1919年 - 1924年)。ウィルソン大統領が提唱した国際連盟に対し、モンロー主義を唱える上院の反対(=共和党が多数)の中心となり、結局、アメリカ合衆国は国際連盟に加盟しなかった。1897年、米西戦争の前後にはウィリアム・マッキンリー大統領の同盟者・友人として、セオドア・ルーズベルトアルフレッド・セイヤー・マハンらと共に膨張路線を推進してハワイ併合や、キューバ、プエルトリコ、フィリピンへの進出を果たした〔ケネス・J. ヘイガン、イアン・J. ビッカートン『アメリカと戦争 1775‐2007―「意図せざる結果」の歴史』2010年、大月書店〕。上院共和党協議会議長(1918年 - 1924年)となり。事実上の初代上院多数党院内総務とされる。後に上院議員、国連大使となるヘンリー・カボット・ロッジ・ジュニアは孫。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・カボット・ロッジ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Henry Cabot Lodge 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.